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私の人生最大の夢をかなえたカウアイ暮らし
ポール・ショウ
リゾートクエスト・ワイメア・プランテーション・コテージ(旧ワイメア・プランテーション・コテージ)総支配人

アロハ!ワイメア・プランテーション・コテージ(現リゾートクエスト・ワイメア・プランテーション・コテージ)総支配人のポール・ショウです。私はデンマークとフランスの家族からの子孫です。私の母親は、パリで生まれ育ちティーンエイジャーでアメリカへ移住しました。私は1948年にユタ州のプロヴォで生まれました。1956年、カルフォルニアにあるエスコンディドへ家族と移住し、12学年までエスコンディドで学校へ通いました。その後、フットボールの奨学生としてホイッティアー大学に入学し、アメリカ空軍在籍中にユタ州のオグデンにあるヴェーバー・ステートカレッジを最終的に卒業しました。

  1988年より、米国本土のプライベート・コンドミニアムを管理する不動産ブローカーとして仕事を始め、以来ずっとホテル産業で働いています。不動産会社で2つのコンドミニアムを担当していたり、カウアイにたくさん施設を持っているキャッスル・リゾート&ホテルに勤務していた時期もあります。アストン・ハワイ・ホテルズ&リゾートにファミリーに加わったのは1998年になります。ワイメア・プランテーション・コテージに勤務する前は、3年ほどマウイ島のパパケア・リゾートを任されておりました。

■人生最大の夢をかなえたカウアイ暮らし

 私の趣味はスポーツ全般で、ここワイメアへ移り住んで以来、ワイメア・プランテーション・コテージを管理しながら、私の人生最大の夢のひとつであった「スポーツ・フィッシング」に挑戦することができました。ワイメア・プランテーション・コテージは、カウアイ島の西海岸に位置しており、ニイハウの隠れ島ともいわれるハワイでも最良の漁場に隣接しています。ワイメアの私どものコテージから1マイル遠方にある、プランテーション・コテージ・ランドは誰でも利用することができるカキアロア・ボート・ハーバーです。ワイメア・プランテーション・コテージからは20分ほどの距離で、自家用ボートを使って釣りに出かけると、アヒ、マーリン、オノ、アクと何でも釣れます。いまでは私の仕事仲間は釣り仲間か、私の釣った魚を食べてくれる人ばかりになってしまいました(笑)。私の人生の長い夢はとうとう私の日常の趣味に変ってしまいました。

 私どものワイメア・プランテーション・コテージにお越し下さるお客様には、世界で最も美しい海岸のうちの1つ、ナパリ・コーストを是非ご訪問される様お勧めしています。ナパリ・コーストへのアクセスは、ボートでのクルーズを始め、ヘリコプターによるツアーもあり、カウアイ島での冒険をお楽しみいただけることでしょう。

■ワイメア・プランテーション・コテージの歴史

 さて、ここでワイメア・プランテーション・コテージの歴史をお話しましょう。

 ワイメア・プランテーション・コテージは、キキアオラ・ランド株式会社が所有するカウアイ島の歴史遺産として残されたユニークなコンドミニアムです。キキアオラ・ランド株式会社は、カウアイ島の砂糖産業の先駆者であるハンス・ピーター・フェイの子孫たちによって構成された会社です。

 カウアイ島の砂糖産業の先駆者、ハンス・ピーター・フェイは、1859年10月20日にノルウェーのドレーメンで生まれ、1880年にハワイへやってきました。彼は最初、マウイ島のパイヤのさとうきび畑の労働者となりましたが、働き者であった彼は短期間で現場責任者へと昇進し、2年後ハナペペにあるゲイ・アンド・ロビンソンという会社でさとうきびの栽培をするためにここカウアイ島へやってきました。その後1884年、カウアイ島西端のマナの平原で自分の農園を始めるためにこの職を辞し、ケカハ・シュガー・カンパニーのマネージャーとして活躍した後、1898年7月に、H.P.フェイ&カンパニーを設立し、さとうきび農園主として独立しました。

 時代は前後しますが、カウアイ島の砂糖産業の始まりは、ウィリアム・フレンチが1835年に製糖職人と製糖のための機械を中国から持ち込み、製糖を始めたのが最初だといわれています。1884年になると、宣教師ジョージ・ローウェルによってワイメア・シュガー工場が設立されカウアイ島の砂糖産業は一大産業として発展してゆきます。

 さて、当時ケカハ・シュガー・カンパニーのマネージャーであったハンス・ピーター・フェイは、1905年にワイメア・シュガー工場の株式を購入し始め、1928年までに彼はそのすべてを所有し、ワイメア・シュガー工場を有益なビジネスへと変えてゆきました。この会社はハワイで最後の個人所有の砂糖会社の一つでした。1969年には、ワイメア・シュガー工場が営業を中止し、ケカハ・シュガー・カンパニーにその土地を賃貸しました。

 1983年には、前述のキキアオラ・ランド株式会社が、カウアイの歴史遺産が残された、海辺に近い従業員宿舎をコンドミニアムとして一新し始めました。今日では、これらの施設はワイメア・プランテーション・コテージとしてカウアイの他のホテルよりユニークな宿泊施設となっています。カウアイ島のさとうきび畑の歴史を感じることのできる遺産として、カウアイ島を訪れる皆様のために当時の姿を残したまま保存されています。

■ワイメア・プランテーション・コテージに是非お越しください

 ワイメア・プランテーション・コテージは、お客様にハワイの歴史を垣間見る機会をご提供致します。10ヘクタールの広大な敷地に600本を越えるココヤシの美しいココナッツ園。お客様にプライベートな空間でおくつろぎいただける独立したコテージ、ふと夜空を見上げれば、満点の星が輝き天体観測のお客様にもお喜びいただけることでしょう。コテージの西側へ落ちる夕陽は、ニイハウ島のシルエットを美しく描き出します。

 コテージのベランダでおくつろぎいただくことはもちろん、海辺のハンモックの中でまどろんだり、ブラック・サンド・ビーチに沿って散策したり・・・。もちろんインターネットおよびケーブルテレビなどの生活にかかせない現代日常用品などもすべてご利用いただけます。

 各コテージは、ホテル・ルームのコテージから、5ベッドルームのプランテーション・マネージャー・ハウスまで、多種多様な構成で、ご家族連れはもちろん、ビジネス、再開の集いなどあらゆるグループに最適です。 コテージのお客様は、コテージが「エネルギー」(それはゲストが休暇や静養のためにワイメア・プランテーション・コテージを選ぶ多くの理由のうちの一つである)で溢れていると言われます。ヨガ・グループ、瞑想グループおよびロミロミ・マッサージ・グループなどがワイメア・プランテーション・コテージに集まってきます。

 ワイメア・プランテーション・コテージは、2003年のハワイ・ホテル協会の「キープ・イッツ・ハワイ」賞を受賞いたしました。

 

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