日本のハワイからアローハ!
日本フラ文化発祥の地とも言える「スパリゾートハワイアンズ」から、ハワイにもない「フラ・ミュージアム」についてのレポートです。
フジテレビ系列の土曜プレミアムで、2010年2月6日(土)21時から、映画「フラガール」が地上波放送されました。通算3回目の再々放映です。今回は「フラ・ミュージアム」開設のきっかけとなった映画「フラガール」の背景をもう一度追いかけてみたいと思います。
「フラ・ミュージアム」は映画の大ヒットを記念し、2007年11月に開設されました。ハワイとフラの歴史や背景、文化をわかりやすく紹介すると同時に、映画「フラガール」の貴重な資料を展示しています。また、フラガールの原点である「常磐炭礦」、炭砿の苦悩から生まれたハワイアンズの前身「常磐ハワイアンセンター」の紆余曲折も紹介しています。
映画が一般劇場公開されたのは2006年9月23日ですが、映画化の話をいただいたのは2003年のこと。テレビ朝日系列で放送されていた「運命のダダダダーン」という番組の放送がそのきっかけでした。この番組の中でハワイアンズの創業物語が「東北のハワイ誕生秘話」として紹介されたのです。
久し振りに早く帰宅して、たまたまその番組を見ていた石原仁美さん(映画「フラガール」のプロデューサー)は、直観で「これは映画になる。あたる」と思ったそうで、その翌日には、「映画にしませんか?」とハワイアンズに電話をくださったそうです。
それからはプロデューサーと脚本家(羽原大介さん・「パッチギ!」「フラガール」で二年連続 日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞)とハワイアンズの広報担当による関係者ヒヤリングが続き、順調にストーリーづくりが進んで行きましたが、なかなか納得できる内容にはならなかったようです。というのも、当時主人公として考えていたのは、ハワイアンズ構想時の常磐炭礦の副社長 中村豊氏でした。この中村氏は炭砿から観光への事業転換をカリスマ的な指導力で采配した方ですが、数十年経過した今では美談しか残っておらず、波乱万丈な要素が不可欠な映画には不向きで、それが行き詰まりの原因になっていたようです。
しかし、中村氏の人物像を探る過程で出会った、創業当時からのフラの先生 カレイナニ早川さんと話してからは、大きく道が開けたのです。炭砿で働く男たちの映画から、女性を主人公とした映画へと方向転換した瞬間でした。映画「フラガール」の登場人物はほとんどが女性、「女性の人生を後押しするような映画を作りたい」というのが石原プロデューサーの想いでした。
想いはいろいろなところにありました。たとえばダンサーを演じた女優たちのほとんどはフラの経験ばかりか、ダンスの経験さえない人間がほとんど。苦しい練習を毎日積んで、晴れの舞台に上がる感動を実演したのです。
2006年のちょうど今頃、ハワイアンズとその周辺地域は映画のロケの真っ最中でした。圧巻は2月27日に、ハワイアンズに地元からエキストラ約1.000名を集め、特設ステージで行われたクライマックスシーンの撮影。エキストラは昭和41年にふさわしく、髪の色は黒色指定(染めてくるか、当日に落ちるスプレーで黒に)、パーマは極力落とすか、当日髪を結うといった指示。男性は出来る限り短く、お子様は坊主がベスト、着衣は数着古めの地味な無地のセーターやシャツ、割烹着やモンペ、綿パンやチノパン(当時の冬の様相)持参、という募集要項でした。
このように「フラガール」は、製作者だけではなく、人々の熱い心がいっぱい詰まった映画なのです。
「フラ・ミュージアム」の映画「フラガール」コーナーでは、映画で実際に使用された衣裳・小道具のほか、出演者の直筆サイン、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞などの受賞トロフィー等の貴重な資料も特別展示されています。
映画関係の展示品の詳細は、以前の号でも紹介しています。
映画『フラガール』コーナー
このように、「フラ・ミュージアム」は見所がいっぱいで、映画「フラガール」ファンなら一度は訪れてみたい場所です。ハワイアンズでは、東京・新宿・渋谷・横浜・さいたま・西船橋から、何と交通費無料の宿泊者限定送迎バスを運行していますので、チェックしてみてください。(2/22〜5/31までの期間限定で、仙台便の運行も決定しました)
フラ・ミュージアム(スパリゾートハワイアンズ内)
〒972-8555福島県いわき市常磐藤原町蕨平50番地
TEL: (0246)43-3191(大代表)
URL: http://www.hawaiians.co.jp
ミュージアム開館時間: 10:00〜18:00
※ハワイアンズの営業時間は曜日によって変動
※ハワイアンズの入場料のみで観覧可 |