11月の第4木曜日は、Thanksgiving(感謝祭)。 日本人にはあまりピンと来ない祝日だけれど、アメリカではクリスマスと並んで、いや、もしかしたらクリスマス以上に大事なイベントの日。
日本人にとってのお正月のようなものだ。この日は、一年で一番、高速道路が混み合い、交通機関が大混雑するとも言われている。
多くの人が故郷や、両親のいる場所に大移動して、家族みんなでThanksgivingを祝うからだ。
このThanksgiving、宗教革命の激しかったイギリスで、ピューリタン派の人々が国教会からの弾圧から逃れるためにオランダに逃れたものの、
生活苦から、新天地を求めてアメリカ大陸に渡り、寒さと食料不足から多数の死者を出したのちに、先住民であるアメリカ・インディアンから狩猟や農耕を学び、
春夏を懸命に働いて過ごし、収穫の秋を祝ったのが発端らしい。渡米したピューリタン派のイギリス人たちは知恵を授けてくれたアメリカ・インディアンたちをその席に招き、
収穫を喜び、七面鳥やかぼちゃなどを食べて神に感謝を捧げた。1620年代のことであるそうだ。その風習が今に残って、毎年、11月の第4木曜日は各所で盛大なパーティ、
あるいはイベントが行われる。1620年代に始まった時と同じように、ターキー(七面鳥)やかぼちゃを食べるのだ。
その11月第4木曜日がやってきた。私にとって、3回目のハワイでのThanksgivingだ。一度目はまだこちらに移住する前、3ヶ月間滞在していた間に、ハワイでのThanksgivingを初めて体験した。ちょうど3年前になる。知人の誘いで、リッドゲイト・パークという、ビーチにあるパビリオンで行われたパーティに参加したことを憶えている。みんなが食べ物を持ち寄る、ポトラック・スタイルのパーティで、フードブースにはそれぞれが持ち寄った手作り料理がわんさと並んでいた。今思えば、それはベジタリアンの人々の集いでもあったらしくて、ターキー料理らしきものは見なかった気がする。そのパビリオンにはちょっとしたステージが設置されていて、フルートやらギターの演奏、そしてHulaなどが踊られた。周囲のビーチでは、ロコの家族たちがパーティを楽しんでいて、たくさんの人々で溢れかえっていて、そんなに人で混んでいるビーチをカウアイで見たのは初めてのことだった。私がその時に参加したのは、どちらかというと静かな雰囲の気漂うパーティだったのだけれど、ビーチで繰り広げられているロコたちのパーティはジャワイアン(ハワイ版レゲエ)が鳴り響いて、笑い声が絶えなくて、「何だか、あっちが楽しそうだなぁ」とちょっとうらやましかったことを憶えている。何かにつけては、ビーチや家のガレージに出て、宴会する。それが、ハワイのロコ・スタイルでもある。
そして昨年が二回目のThanksgiving。実は昨年のThanksgivingの記憶はあまりない。たぶん、家を建てている作業に追われて何となく終わってしまったのかもしれない。
ターキーも食べなかった。ちなみにThanksgiving前になると、スーパーにはターキーやらハムやら、かぼちゃやら、Thanksgivingの食卓を飾る食材がいっせいに並び始める。
そしてそのターキーの大きさたるやら、「私の手にはおえない」迫力で目に入ってきたことだけは憶えている。二人でこれは食べられない。じゃぁ、似ているとことでチキンの丸焼きにしておこうか、という会話をしたことも憶えている。それでもけっきょく、
ほとんどの店先からは普段はたくさん並んでいるチキンが姿を消してターキー一色になっていて、チキンの丸焼きさえ、口に入れられなかったように思う。
|