「やった。卒業だぁ〜!」とトモダチのエドから喜びのメールが届いた。B&B経営者でロミロミ・マッサージ師、週末はプリンスヴィルにあるホテルで日本人窓口をしている彼は、ここ数年、看護士を目指して勉強中だったのだけれど、ようやくその卒業試験にパスをしたらしい。「おめでとう!」とメールを返信すると、ついてはアメリカ本土から両親や姉妹兄弟を呼んで卒業パーティをするのでぜひ来られたしと招待を受けた。彼と私はモロカイ島で、偶然に出会った。4〜5年前のことになると思うのだけれど、私がモロカイ島に遊びに行った時に「ミュール・ツアー」といって、ミュールの背中に乗って断崖を降りてカラウパパ岬というところへ行くツアーに参加し、そこに同じくエドも参加していたのだ。
そのツアーでは少し年配の参加者には静かでゆっくり動くミュール…という風に、それぞれのミュールが持つ気性に合わせて、ツアーガイドが乗り手を選んでくれるのだけれど、なぜか私にあてがわれたのがとびっきりのじゃじゃ馬だった。乗った瞬間に「ヤバイ」と思った予感は的中して、その落ち着きのないことといったらこの上なく、あとで聞くところによると調教が終わったばかりの少年馬だったらしい。岬へ降りて行く道は幅の狭い崖で、ミュールの足のすぐ横にははるか下方のビーチが見えるというなかなかスリリングな道のりである。そこをツアーは縦に一列を作ってゆっくりといくというものだった。
パーティ前は集まってきた子供達がプールで大はしゃぎ
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ところが私の乗ったそのハイパーな少年馬はとにかく一番先頭になりたいようで、どうにかして前にいるミュールを追い抜いていこうと、ただでさえ狭いその道を他の馬の横をすり抜けていく。とにかくヒヤヒヤの往復だったのだけれど、その最中で一度だけ、その少年馬がまったく動かなくなってしまった。どうやらお腹がすいてしまったらしくて、草をつつき始めたきりまったく動かない。声をかけてなだめたりすかしたりしてみるのだけれど、「いやだ!」とばかりにテコでも動かない。そのせいで、私たちの後にいる列もまったく動けなくなってしまった。その時、私のすぐ後にいた大きなアメリカ人男性が「ケッテ!」といった。言われるままに私は馬の腹を蹴った。少し馬が動いた。「ハイ、マタケッテ!」とアメリカ人。言われた通りにまた馬の腹を蹴ると、ようやくきかん坊のその馬は動き出してくれた。もちろん、元通りのすごいスピードで走り始めてしまったので、あっと言う間にほかの参加者とミュールは後方へと遠ざかり、ツアーガイドも見えなくなって、風を切りつつ、私とその少年馬はだんとつの速さで終点地点へと到着したのだった。
ツアーの帰りの車中で同行したトモダチに、「あのツアー・ガイドはこいつなら少々ケガをしてもいいだろうと、私にあんな馬をあてがったに違いない」などと愚痴をこぼしている最中に、ふと気づいた。「あれ、ケッテ!って、あのアメリカ人がしゃべってたのは日本語!?」……そう、ちょっとマヌケなことに、私は彼に言われるままに馬の腹を蹴って急場をしのいだものの、彼が話しているのを日本語だとは思っていなかったのだ。微塵も。それが日本語ペラペラのエドとの出会いである。翌日、私たちは島のお祭りに参加して、またそこで彼に会った。モロカイはすてきなところだけれど、私の一番のお気に入りはカウアイ島なんだと話すと、ボクはカウアイ島でB&Bをやっているのだと教えてくれた。
かなり長くなったけれど、それがエドとの出会いで、以来、私のカウアイ島での滞在は彼のところとなり、3ヶ月半をここで過ごした時には、忙しい彼の代わりにB&Bのゲストのアテンドをしたりもした。だから彼は私にとってはカウアイでの身内のようなものである。さて、その彼の卒業パーティは大々的にやるとのことで、前日の準備からお手伝いさせていただきますということになったのだ。(続く)
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