ウクレレ・クラスはアナホラの山々をのぞむ気持ちのいい場所で。
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ウクレレ購入から数ヶ月。や〜っと初回ウクレレ・クラスが実施となった。ウクレレ・クラスの実施までに長い日数を経たのには理由がある。ビジョルはウクレレを教えることを生計のひとつにしている人なので、クラスを受けるのなら私もお礼をしたい。ちょうどウクレレを習いたいという人がフラ・シスターズの中に何人かいたので、それじゃみんなで始めようということになった。希望者は5〜6人ほど。
その中にシャナイアという7歳になる女の子がいた。彼女も私のフラ・シスターズの一人である。なんだか安すぎるけれど…と私を不安にさせたウクレレも、7歳のシャナイアにとって30ドルというのは大きな金額である。まずシャナイアがウクレレを買うのに数週間が流れた。お家の用事を手伝ったり、得意のマッサージをしてお金を貯めたようで、最終的には親からの援助を受けて、やっとウクレレが手に入ったようだ。いろいろな家庭があるけれど、30ドルほどのウクレレをポンと買い与えないという親もこちらでは多い。これを手に入れるには、どれくらいのお手伝いをしなきゃいけないとか、そういうところで金銭価値を子供に教えていくようなのだ。
ポロンポロンとウクレレを弾くみんなのうしろに広がるのはこんな風景
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ともかく、これでやっとウクレレ・クラスのスタートだね〜なんて話していたある日のフラのレッスンの日。シャナイアが「報告しなきゃいけないことがあるの」と話しかけてきた。聞いてみると、その前の日の夜、家で何か粗相をしたらしく、それをとがめられて、つい「私がやったんじゃない」とウソをついてしまったらしい。自分がしたことを素直に謝らずにウソをついて誤魔化したことに、父親が怒って、やっと手に入れたウクレレはシャナイアの誕生日まで取り上げとなったというのだ。シャナイアのお父さんはうちのダンナさんとはサーフィン仲間でもある。ビッグウエイブに乗る上手なサーファーで、ファイアーマン(消防士)を職業としている。人命救助に携わっているのだからと、いつもトレーニングを欠かさない自分自身にも相当キビシイ人である。「で、誕生日っていつなの?」と聞くと「あのね、私は7月生まれなんだ〜」なんてケロっとして言う。7月ですか、それはまだまだ先ですね〜と私は思った。ただ、オソロシイことにウクレレ購入から数ヶ月、私のウクレレへのモチベーションはこの時にはすでに下がり始めていたのである。家で一人でポロンポロンと弾いているうちに、もうこんな感じでいいやぁと満足していた。だから7月まで待つのはぜんぜん私には問題のないことだったのである。やはりビジョルのアドバイスに従って30ドルのウクレレを購入しておいて正解だったな〜と私はこの時に思い知ったのである。
それが意外な展開で、ある夜、シャナイアからの電話で「今週の水曜日からウクレレ・クラスを始められることになった」という。どういう事情かは知らないけれど、無事ウクレレがシャナイアの手に戻ってきたようなのだ。ウクレレ購入から約4ヶ月。モチベーションもすっかり下がったことろでウクレレ・クラスのスタートとなったのだ。場所はC(シィー)というニックネームの、これも私たちのフラ・シスターズが住むところ。彼女とその同居人(というのかな)たちは、少し変わった暮らしぶりをしていて、アナホラという地区の一画、広い敷地の中にテントを張って生活をしている。土地のオーナーは別にいて、彼女たちは土地の手入れをする代わりに無料でそこに住んでいる。「テイク・ケイカー(土地の手入れをする人)」と言って、これもここカウアイではよく見られるスタイルである。
けっきょく7人の生徒が集まって、夕暮れの農地でリビング・ルームになっているテントの下で初めてのレッスンを受けた。最初の課題曲は、ケアリィ・レイシェルというハワイアン・ミュージックの人気アーティストの「E
Ho'i I Ka Pili」という曲。C-F-G7という基本中の基本となる3つのコードだけで弾ける曲だ。すでにフラで習っていた曲だということもあって、弾くのに慣れてくるとそれぞれが歌詞を口ずさみ、私はカナダから来ているという女性のリクエストで、みんなの演奏に合わせてその曲をフラで踊ってみたりした。2時間ほどのレッスンだったろうか、なんとなくみんなが弾けるようになった頃、あたりは夕闇に包まれて、星が出始めていた。ちょっとモチベーションの落ちかけていた私だけれど、週一回のビーチでのフラに加えて、こんどは山側の美しい農地でのウクレレ・レッスンが始まったことにけっこうウキウキワクワクしているのである。
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