カパアを北へ向かって車を走らせていた時のことである。助手席に座っていた日本からの知人が、「ねえ、スリーピング・ジャイアントって、かなりその気になって見ないとスリーピング・ジャイアントに見えないよね。」とつぶやいた。「えっ。そんなことないよ、私にはどうしたってスリーピング・ジャイアントにしか見えないけどなぁ」と私。そう、いつ頃からだっただろうか、カパアの町を車で走りすぎるたびに、「今日もスリーピング・ジャイアントはよく眠っているなぁ」というようなことを思うようになり、その存在がいつもいつも目の端に入るようになった。わりと最近のことである。
スリーピング・ジャイアントというのは、トレッキング・コースとしても知られる「ノウノウ山」の山の稜線が、巨人が眠っているように見えるところから名付けられている。いや、こんな言い方はきっと正解ではない。ハワイアンの人々にとっては、そこにはたしかにいまも巨人が眠っているのである。神話の島ハワイでは、いたるところにそれぞれ由来や伝説が残されているが、もちろんこのスリーピング・ジャイアントも例外ではない。眠れる巨人の名前は「PUNI(プニ)」。昔、カウアイ島に住んでいたとされる、これもたくさんの伝説を残す小人族「MENEHUNE(メネフネ)」と巨人プニはとても仲良しだったらしい。ある日、オアフ島から軍隊が攻め込んできてカウアイ島を攻略しようとした。慌てたメネフネたちは身体の大きなプニに応援を求めた。ところが眠り込んだプニは起きてくる気配もない。どうにかしてプニを起こそうと、メネフネたちは浜辺からプニに石を投げ続けた。けっきょくプニは最後まで起きることはなかったのだけれど、プニに当たって海まで跳ね返った石に追われる形になってオアフ軍は退散した。メネフネたちはお礼を言おうとプニのところへ行ったらしいが、メネフネたちが投げた石を飲み込んだプニは死んでしまっていたらしい。...これがスリーピング・ジャイアントにまつわる伝説だけれど、もちろん他の説もあって、メネフネたちが応援を求めた時には、プニは何かの理由で動けなくて、自分に投げられた石を海へと跳ね返すことでオアフの軍隊から、メネフネやこの島を守ったという説もあるらしい。
この眠れる巨人プニの姿は、カパアの町から見ることができるが、見る角度によってもちろん見え方は違う。知人がつぶやいた言葉をきっかけに、どこから見るのがもっとも「眠れる巨人」らしい姿が見られるか...ということを先日ちょっと検証してみた。そんなことをするなんてバカなんじゃないか...と思われる方も多いと思う。しかも、白状してしまうとウォーレン(ダンナです)とパコ(愛犬です)、家族総出で検証に出かけたのだから、バカなんじゃないか...というよりは、はっきり言ってバカなんである。もっと恥ずかしいことに、私たちはその検証にマジメに取り組んでしまったのである。
まずはご近所からということで、我が家周辺(WAILUAです)をまわってみる。我が家はちょうどノウノウ山トレッキングコースの入り口にほど近いところに建っている。スリーピング・ジャイアントはクアモオ・ロード沿いにある、オパエカア滝の北側にある頂からのびる稜線のことだけれど、我が家はそのオパエカア滝までも歩いていける距離である。我が家周辺から見ると頭部側から巨人プニを見る形になって、きっとカウアイを訪れた人には何のことだか分からない。それから裏道を通って、ここはどうだ、あそこはどうだ、などと言い合いながら検証隊は進んで行った。けれど、けっきょく、普通にカパアの町から見るのがいいんじゃないかという、面白くも何ともない、そして新たな発見もない残念な結果となった。「じゃぁさ、じゃぁさ、カパアの町のどこが一番、プニを眺めるのにいいかを、せめて検証して帰ろう」「おぉー!」ということになった。結果、私たちがオススメするのは、「KAUAI
COMMUNITY FEDERAL CREDIT UNION」(銀行というか信用金庫という感じ)の駐車場。
空港からハイウエイを北上して、SAFE WAYなどのショッピングセンターを超えてしばらく行くと「BOUNTY
MUSIC」という水色の建物をした楽器屋さんがあり、そこを超えてすぐを左折したところにある。
スリーピング・ジャイアントはガイドブックなどにも載っていて、どれだろうと探してみる人も多いが、慣れない土地で左ハンドルの車を運転しつつ探すというのは最初はむずかしい。「あ、あれ?」「えっ、どれ?」「もう過ぎた...」...ちなみにこれは私が初めてカウアイを訪れた時に、スリーピング・ジャイアントを見ようとした時に友人と交わした会話である。この駐車場なら、ゆっくり車を停めて巨人プニの眠りを眺められるというのもいい。私もこの銀行に行く度に、パコと一緒にしばしプニの姿を眺めたりする。山の裾野に広がった野原では、たくさんのヤギの子供たちが草を歯んでいたりしている。小さなヤギたちにメネフネたちの姿をあてて、巨人プニとメネフネたちの親しかった日々を思い描いたりしてみると、なんだかゆるゆるっとした感覚が自分の中に流れ込んでくるようで、心地が良いのだ。
自然を眺める、風景を眺めるというのにはある程度、慣れがいる(もしかしたら感覚の鋭敏さとか)のではないかなと私は思っている。想像力もいる。「スリーピング・ジャイアントに見えないよね」と言った知人も、そこの伝説を知ったり、巨人の名前がプニであったことを知ったりしたあとではちょっと稜線の見え方が違うかもしれない。私が最近になって、プニの存在をいつも感じるようになったのも、自然を見ることに慣れてきたり、そこから何かを想像するという感覚を得てきたせいかもしれない。それはここで、(とくにフラのある暮らしを通して)ハワイアンの自然観というものに触れる機会が多いことにも関連しているのだろう。ともかく、今日も巨人プニは、カウアイに暮らす人々を見守るようにすこやかに眠っている。
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