イベント・シーズンを迎えて、ただいまカウアイ島は、いつになく、比較的、にぎやかムードに包まれている。9/18〜9/24まで開催されていた「モキハナ・フェスティバル」では私も毎日、フラのハラウよりボランティアで出動していた(モキハナ・フェスティバルの詳しい模様は次号でお届けします!)。そして来週末からは、これもまた年一度のフラ・フェスティバル「エマラニ・フェスティバル」がひかえていて、まだまだフラ浸けの日々が続きそうな気配である。
さて、前回お送りしたレポートで書いたクペエ、レイポウ、レイアイ...たちは、フラの儀式「ウニキ」と「ホイケ」(発表会)で、私の手首、足首、頭、首もとをしっかり飾ってくれた。これらを前回のレポートの中で“装飾”という風に私は表現したけれど、詳しく言えばこれらを身につけるのにはもう少し深い意味がある。「ウニキ」も「ホイケ」もヘイアウと呼ばれる、聖地にあたる場所で行われた。自然の中に残るヘイアウで踊るには、そこで踊らせてもらうことへの感謝、自然への崇拝の念、畏敬の念などを込めて身体に緑をつけることが礼儀なのだそうだ。夕方6時から翌朝6時まで徹夜と半断食状態で行われた「ウニキ」は、超超超満天の星空の下、流れ星がポロポロこぼれる空の下で行われた。その週末に「ホイケ」が昔の住居跡を残したハワイアン・ヴィレッジで炎天下で行われ、無事に終了した。どちらも素晴らしい体験で、私にとってとても印象に残る時間になった。
HULA
IS LIFEとフラガールが描かれたケーキ |
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その「ホイケ」には、日本から20名ほどのフラ・シスターズ(同じクム・フラから教えを受ける仲間のこと)たちがカウアイ島を訪れ、こちらにいるハラウ(教室)のメンバーと時間をシェアしてくれた。時間を工面して短い滞在で来てくれたフラ・シスターズたちは、時差ボケに頭をクラクラさせる余裕もなく、「ホイケ」の準備へと引きずり込まれる形となった。はじめてカウアイ島を訪れたという人もいただろうし、何が何だかワケがわからないまま、あっちへこっちへと転々としながら作業を手伝ってくれていた。そして当日の「ホイケ」は炎天下。いつもはきっと「美白」に努めているであろう、みんなの真っ白な肌が、ハワイの強い日差しに無謀にさらされて、逃げることもできず、加えて間違いなく睡眠不足であろうし、水分不足で、気の毒な気がしたものである。
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日本から来てくれたフラ・シスターズにとっては、楽しくもちょっとキツイ思いもした「ホイケ」も無事終了して数日後、みんなが日本へ帰る前の日に「さよならパーティ」が行われた。ほんとうは日本チームの夕食パーティだったのだけれど、それを聞きつけたこちらのフラ・シスターズのひとりがみんなに集合をかけたところ、たくさんのメンバーが料理を片手に集まってきた。場所は、ビーチ際にあるフラ・シスターズの家の庭。日本のメンバーが折り鶴で作ったレイをこちらのメンバーの首にかけてくれて、ジャパニーズ・スタイルのレイをもらったメンバーたちはしきりに感動していたものである。カパアの町でオーガニック・レストランをやっているフラ・シスターズからは「Hula
is life」と書かれたケーキが差し入れになった。ひとしきり食べて飲んで、唄って踊って、陽もとっぷり暮れた頃にクムのプナが到着した。そしてまた、唄と踊り...。日本のメンバーたちは翌朝早い飛行機の便で帰国する予定の人も多くて、ソロソロお開きに...という声が聞こえて、深夜近くにお開きとなった。ちなみにハワイアン・スタイルのパーティはもっとダラダラ、ゆるゆると長い時間にわたることも少なくない。みんなの疲労具合を考えると、お開きの声が出たのは正解だったのだと思う。最後にみんなで手をつなぎあって輪を作って、唄をうたってパーティは終了した。海を隔てたところに暮らす、いつもは顔を合わさないメンバーと時間や空気をシェアして時間を過ごせたことはこちらのメンバーにとってもいい思い出になったことだろうと思う。そして私にとっては、自分の母国から来たフラ・シスターズたちであるから、嬉しさもひとしおである。見えないところで、誰かと「大切なもの」をいつもシェアしているという感覚はとても嬉しく楽しいものである。またみんなに会える日を、とても楽しみにしている私なのだ。
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