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晴天の土曜日、早朝からウォーレンとサーフィンに出かけた。と言っても、サーフィンをするのはウォーレンだけ、私は撮影隊(!?)として拉致されるように家を出た。我が家の朝はいつも早い。5時半頃には目覚ましが鳴ってウォーレンが起き、そして私を起こす。ぐっすりと眠り込んでいる私は目覚ましが鳴っていることにも気づかないで眠りこけている。ウォーレンがサーフィンに行かない週末は、目覚ましをセットしないので2人とも8時、9時まで眠りこけている。ちなみに夜眠るのも早い。9時半にはベッドに入るだろうか。時々ではあるけれど、8時半にベッドに入ることもあり、それを友人に言うと「子供の生活?」と笑われたりする。ともかく早寝早起きの私たちである。ウォーレンがサーフィンに行く時はさらに早く起きて(早朝4時頃)、家を出てしまうので、私は彼が家を出て行ったのを記憶していることがほとんどない。この日は、前日に「明日は一緒にサーフィンに行こう。で、写真撮って」と約束をさせられた。…させられた…というのは、なんだか無理矢理にイヤな作業を押し付けられた人のような言い方だけれど、その通りだから仕方がない。まず、週末に早起きをしないといけないこと。なんだか損をするような気がする。そしていつ終わるともしれないサーフィンの時間、ずっとビーチでカメラをかまえていないといけない。ちょっと憂鬱である。とはいえ、私のフラの儀式やプログラムがあるとウォーレンはかならずと言っていいほど、カメラを持ってその様子を撮影に来てくれる。なので、「たまにはキミが撮影班になってくれてもいいんじゃないの」とお願いされると、露骨に「ふえ〜、イヤだ〜」とは言いがたい。というわけで、この日は重い腰を上げてサーフィンに同行することにした。行く先は、カウアイ島に数多く点在するビーチの中でも、私の超お気に入りビーチのひとつ。
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このビーチに初めて行ったのは、1999年か、2000年だったと思う。当時、休暇の度にハワイに、とくにカウアイに足を運んでいた私は一枚のポストカードに写っている場所に魅せられてしまった。青い空と青い海、白い砂浜が広がる美しい美しいビーチの写真である。カードの裏を見ても名前も何も書かれていない。でもどうしても、その写真に写っている場所に行ってみたかった。カウアイで知り合った人にそのポストカードを見せて「ここ、知らない?」と聞きまわった結果、なんとなく場所がわかった。教えられた道を車を走らせていくと、そこに写真と同じ風景が広がっていた。探し出したその場所は、ポストカードの写真よりも何百倍も美しくて、人影もなく静かで、なんだか雑踏からひとつ角を曲がったところに「ポンっと」置かれた異空間…そんな感じがした。それからはカウアイに来る度にこのビーチに足を運んで時間を過ごした。駐車場代わりになっている空き地から、少しそれたところにビーチに続くトレイルがある。トレイルと言っても、当時は「けもの道」状態。傾斜のキツい坂を10分ほど下って降りきったところに、’突然’そのビーチは広がっていた。やっと、やっと巡り会いたかった場所にたどり着いたと、じわ〜っと静かに感動した憶えがある。そういう利便の悪さも手伝ってか、そのビーチに行くのはほんのひとにぎりの人、そしてサーファーたち。いつ行っても人影は限りなく少なく、当時は政府の規制が入っていなかったのでヒッピーたちがコミュニティを作ってもいた。そして驚くことに、ヌーディスト・ビーチでもあった。レオナルド・ディカプリオ主演の「THE BEACH」という映画を憶えているだろうか、ちょっとああいう世界にも通じるものがあった。
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いまは、トレイルと呼んでもまぁいいかなくらいの土の道がビーチと駐車場をつないでいるし、ヒッピーも姿を消して、日焼け目的に水着の上をとっぱらっている人がいるくらい。完全に素っ裸の人がサーフボードを片手にトレイルを上り下りしているようなことはもうない。ともかく一人で足繁く通ったビーチである。ビーチにいる人の数が少ないので、住人のヒッピーたちがいようが、裸でサーフィンしている人がいようが、お互いの距離がずいぶんとあるので、それぞれがそれぞれの時間を邪魔することなく過ごしていられた。カウアイの面白いところは、こういったビーチがちょこちょこと点在しているところにもあると思う。観光客もあまり知らない、ロコもあまり足を向けない、地図にもちゃんと載っていない、ガイドブックにはもちろん載っていない、時代に忘れ去られたように静かで、はるか昔から同じ時間だけを刻み続けているような空間。実際にこのビーチに座ってボ〜っと海や空を見ていると、自然の中に自分の身体がすう〜っととけ込んでいくような感覚に包まれる瞬間がある。背面に急斜面の山肌、目の前に海、日によってはその沖で飛び跳ねるイルカやクジラがシルエットになって見えることもある。大自然の中で自分が小さいな〜と思えて、それがまたとても心地良い。
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さて、ひさしぶりに行ったビーチは残念な方向に少し様変わりしていた。駐車場は若干整備されている。というのも、トレイルの脇に豪邸が建ったからである。その持ち主の意向もあるのだろう、「駐車スペースはここ! 他はダメよ!」という雰囲気があって、10数年前に漂っていたあの乱雑で自由な感じはもうない。聞く話によると、この家の持ち主とローカルたちの間でのもめ事が耐えないらしい。理由は「快適に住みたい」側と、「快適に自分たちのビーチを楽しみたい」側の衝突。以前、車を停めるとそこから眼下に広がるビーチが見えたのを、それがここを訪れる人の胸をワクワクさせたのを、この家の持ち主は知っているのだろうか。自分たちの建てた家が完全にその景色をブロックしてしまったことを理解しているのかな。「ビーチを訪れる人の車の音がうるさくていつも頭にくる」と持ち主が言っていたよとは、友人から聞いた話。お金があることはいいことだとは思うけれど、贅沢な景色を眼下に眺めて暮らせるのはきっとステキなことだとは思うけれど、お金があっても手を出してはいけないもの、領域っていうのがあるのじゃないかなと私は思う。自然は誰のものでもないし、ましてこのビーチはほんの少しの人だけが通う、ローカルのサーファーたちが愛してきたビーチだもの。ただその様変わりもトレイルに入ると、以前と変わらない空間がそこにある。ビーチに降りれば、そこにも何も変わらない空間。海の中にはサーファーが3人、ボディボーダーが1人。ビーチには私のほかに姉妹らしき2人の女性、犬が1匹。今日は数時間ほどだけ、そこにいただろうか。急勾配のトレイルを上がって駐車場に戻る時、もうひとつ変わっているものに気がついた。それは、私の体力。この急勾配のトレイルを数年前までは「軽く」上り下りしていた。それが今日は「あ、あ、上りがキツい!」と初めて感じた。最初にここにやって来た頃には、この急勾配を日に何度か往復していたのにである。様変わりしてしまったのは景色だけではないらしい。う〜ん(沈黙)。ひさしぶりに来たお気に入りのビーチは、私を過去の時間に戻すように迎え入れてくれた。人工物の何もない砂浜(トイレもないです)、風と波の音だけが反響する空間。暮らしのすぐそばにあって、そこだけ違う時間が流れている場所。心を静かにできる場所。これを読んでいるみなさんにも心がキシキシと音を立てるような時に、その場所に心を寄せるだけで気分が落ち着くような「お気に入り」の場所があるといいなと願っています。 |
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