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ガールズ・サーフ・ミーティング in アナホラ |
ミノリ・エヴァンス |
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今年はいつもにも増して旅の多い一年となりそうです。
旅に出るとカウアイでの暮らしが恋しくなり、カウアイに戻るとその風景に気持ちがほっと和みます。リフエ空港に到着して荷物をピックアップして外に出て、少し湿気をはらんだ風に吹かれる。その風の中にかすかに花の香りを嗅ぐと、ああ恵まれた場所で暮らしているのだなとあらためて思います。自然が暮らしのすぐそばにあるのは、自分が感じている以上に、私の心身にたくさんの恩恵を与えてくれているのだと思います。
今年前半のスケジュールを手帳にまとめてみると、カウアイにいる日といない日がほぼ半分ずつになるようです。旅は旅なりの楽しさがあるけれど、半分もこの島にいないのだと思うと、カウアイでの暮らしが愛おしいものに思えます。
そのカウアイでの日々はというと、多くの時間をやはりフラに費やしている。地域ではさまざまな団体や個人によるプログラムが後を絶たず、気がつけばカヒコの衣装を身につけて、ビーチで、山の中で、あるいは森林の中で踊り、時にはライブハウスで、誰かの家の裏庭パーティでハワイアンミュージックに身をゆだねている時間の連続です。
先週の日曜日に第一回目の「ガールズ・サーフ・ミーティング」がアナホラという場所で開催されました。若いガールズ・サーファーたちにもっともっとサーフィンの楽しさを、そしてサーフ文化の継続をと開催され、今後は毎年恒例の行事になるように続けられる予定です。主宰者はアンティ・ナラニというアナホラに住む女性。昨年、彼女のパートナーがガンで亡くなりました。メモリアル・セレモニーになることをしたいと思ったアンティは、サーフィンを愛してやまなかったパートナーのために、このプログラムを発案し、アナホラのローカルたちが総出でコクア(協力すること)を申し出て、この日を迎えました。ハワイアンミュージック愛好家ならご存知のエイミー・ハナイアリイもかけつけてライブを行い、たくさんの人がアナホラに集まってにぎやかな楽しい一日になりました。
朝8時からガールズ・サーファーによるサーフ・コンテスト。とはいえ、一番幼い子は2歳半から、上は16歳までが参加。この日が初めてのサーフィンというガールズも多く、浮力のあるサーフボードを押してもらって波に乗り、どれくらい立てるかを競ったよう。私は残念ながら見逃してしまったのですが、4歳、5歳のガールズたちが次々と波に乗っている風景はそれはそれはもう可愛かったと、自分の孫も参加したクム・フラがシアワセそうに聞かせてくれました。見逃してしまって、とても残念!
私たちのハラウ(フラの教室)はお昼過ぎからフラで参加。「私が亡くなった時は、お葬式でチャンティングとパフ(ハワイアン・ドラム)を聞きたい」と、逝く前にアンティのパートナーが私のクム・フラにお願いしたそうです。残念ながらお葬式の時は、クム・フラと私は他島の儀式に行っていて、そのお願いを実現することができませんでした。なのでこの日は、故人との約束通り、パフとチャンティングを捧げることにしましょうとクム・フラが言い、みんなでカヒコの衣装を身につけて、ハワイの創世神話として知られる「Kumulipo(クムリポ)」から始めました。「Kumulipo(クムリポ)」は、2102の章から成る壮大なハワイ創世神話を物語った叙情詩です。その最初の部分と最後の部分をつけてアレンジされ、チャンティングのレオ(詠唱の抑揚)をつけたのが、フラを学ぶ中で出て来る「Kumulipo Wa Ekahi」。何もない暗闇の中に光が生まれ、宇宙の起源となり、惑星が生まれ、男性、そして次に女性が作られたという人類の誕生までを簡略化して語ったもの。
そして「Ke Ao」という、ハワイ島のクム・フラ、ケアラ・チンが作詞したカヒコを踊りました。人生の道のり、そしてその先、いつまでも続く魂の存在を語った美しい詩です。踊り始めると、見ていた人たちの中からたくさんのすすり泣きの声が始まり、踊っているこちらももらってしまいそうになりましたが、でもこれは故人の生きた道を祝福する私たちなりの儀式。笑顔で祝福の気持ちを込めて踊りました。同時にハワイ語の歌詞を聞いて、これだけの人が涙を流し始める。ハワイ語はしっかりとここに生きているのだなと感じもしました。
チャンティングと踊り終わったあとには多くの人が「Mahalo,Mahalo(ありがとう、ありがとう)」とお礼を言ってくれ、ハグをしてくれました。こちらこそ、大切なメモリアルの儀式でチャンティングをし、踊らせてもらってありがとうという気持ちでいっぱいです。時間にしてみれば、ほんの10分、15分のことだったけれど、なんだかとても大きなものをいただいたようで、とても嬉しい思いでした。ここでは外国人の私のチャンティングや踊りに「ありがとう」と言ってくれる。ほんとうにほとんど申し訳ない気持ちまで抱いてしまったほどです。
最愛のパートナーをなくして、そのメモリアルとして、子供たちの文化継承の機会にあてるという発想がすてきだなと私は思います。そこに参加する子供たちはこのプログラムの背後にある主旨などは知りもしません。そんなのは伝わらなくていい、故人のことも知らなくていい。なんともハワイ的だなというプログラムでした。アピールしないアロハに触れた、気持ちの良い一日を今日も過ごさせてもらいました。忙しい旅の合間での地元のプログラムは、私の暮らしをさらに忙しくします。けれど、ここでの忙しさは心をすり減らす類いのものではありません。こんな風に大きくて温かい意志に触れる、そういうプログラムのいったんに身を置かせてもらえる。カウアイの大地から、ここで生まれ育った人々から受けているものは私のカウアイでの暮らしには欠かせないものばかりです。
… と書いているいま、日本のフラシスターから「カウアイに行きたくなった〜!」と携帯電話にメッセージが入りました。「おいで!!」と返信。日本特有の忙しさに息切れしそうになった時は、みなさんもぜひカウアイにお越しください。 |
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