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メネフネの水路 |
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「メネフネ」とは、カウアイ島に住んでいたといわれる小人族のことです。 身長は普通の人間の半分くらいしかないけれど、
筋骨隆々とした人々だったそうです。 彼らは森に住み、昼間眠って夜働く、という習慣を持っていました。 また、性格はとてもシャイで、滅多なことでは人前にその姿を見せることはなかったと言われています。
メネフネが作ったと言われている建造物のひとつ、「メネフネの掘割」はもともと、 カウアイ島西部、ワイメア川に沿って約42キロ続く水路でした。現在では、その一部だけが残されていて、その長さはわずか70mと言う事です。
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石碑 |
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この掘割には、次のような伝説があります。この「The Power Of Hawaii」DVDの監修をしていただき、「ハワイの神話と伝説」のホームページを主催されている、延江さんの文章よりご紹介させていただきます。
『昔、カウアイ島にオラ王という王様がいました。彼の治世のときに大干ばつが起こり、ワイメア川の水位が下がって農作物が枯死寸前という状態にまでなってしまいました。王は部下達に、ワイメアの山の泉から直接水を引けないか相談しましたが、部下達も皆、どうしていいかその方法が分かりませんでした。オラ王は心配で食べ物も喉を通らず、夜も眠れなくなってしまいました。そんなある日、豪華な羽のマントと羽の王冠をかぶった、メネフネの王がオラ王を訪ねてきました。オラ王はメネフネの不思議な力をよく知っており、丁重に、水路作りを依頼しました。すると、メネフネの王は、二つの約束を提示しました。
「まず、夜は静かにすること。犬には口輪を付け、にわとりもおとなしくさせ、人々は家から外に出ないこと。」「そしてもう1つ、我々みんなに行きわたるように、たくさんの魚を用意してもらいたい。」オラ王はこの条件に快諾したものの、その夜は心配で眠れませんでした。明くる朝、人々と一緒に山の麓に出かけていって見ると、なんと、一夜にして長い長い水路が完成しているではありませんか!これでもう、干ばつの心配をしなくて済む、と農民達も大喜びしたのは言うまでもありません。早速、王は人々に命じて、取れる限りの魚を捕ってくるように言います。
しかし、王は、実はメネフネ達は、魚よりもエビ(オパエ)のほうが好物だということを知っていたため、 結局、何百万匹ものエビを捕まえることにしました。夜になり、オラ王はメネフネを招いて大祝宴を催し、たくさんあったエビもあと2匹となったところで、1匹をメネフネの王が、残る1匹をオラ王が取ったとのこと。メネフネの王が「これで、この水路はあなたのものだ。」と宣言し、水路は、キキアオラ(オラ王の水路)と名づけられました。また、別の言い伝えによると、祝宴に饗されたエビがあまりに多くてメネフネ達は食べきれず、
大きな塊が残りました。それが、岩の山となり、今も残るプウ・オパエ(海老の丘)と呼ばれるようになったとのことです。』
「ハワイの神話と伝説」ホームページ : http://www.legendaryhawaii.com/
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掘割のトンネル内部 |
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この掘割にはハワイの他所では見られない、独特の工法が用いられているそうで、特に、硬い岩盤をくりぬいて作られているトンネルは、今の技術を用いても一夜にして彫ることは不可能に近いそうです。ここは、数多くのメネフネ伝説の中でも、特にメネフネの存在が感じられる場所です。撮影中、水路に続くトンネルを覗き込んでみると、
木の枝で作られた小さな十字架のようなものがあることに気がつきました。トンネル内を記録用の為に写真撮影をしたところ
メネフネの霊体?でしょうか、光の輪(写真中央:トンネル左側面のあたり)が映し出されていました。(ちなみに、ビデオには入っていませんでした。)
メネフネの掘割へは50号線Kaunualiiハイウェイをケカハ方面に走り、ワイメア川の橋を渡ってすぐのメネフネ・ロードを右折します。しばらく走り、右側にワイメア川のつり橋が見えたら、その左側に「メネフネ・ディッチ」の石碑があります。実際には、石碑も掘割もまったく目立たない場所にあるため、私たちは、何度も行ったりきたりしたところで、通りがかりの現地の方に尋ねて、やっと足元に流れる掘割を発見しました。
この掘割には、今でもきれいな水が流れています。 収録中、周辺のワイメア川浅瀬では、車高を高くした四輪駆動車が、水しぶきを上げながら川を渡る光景が見られました。
収録終了後、向こう岸に行ってみたかったのですが、 残念ながら、我々のミニバンでは水没してしまうので断念しました(笑)
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