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R11からの入り口の看板 |
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以前、MTVのスペシャル・プログラムの収録でハワイ島を訪れた際に、ハワイ島のガイドブックによく掲載されている写真の場所「プウホヌア・オ・ホナウナウ」を訪ねてみたくて、収録の合間をぬって、ワイコロアから車を走らせました。手前のケアラケクア湾までたどり着き、そこから、海沿いに目的地まで通っているはずのプウホヌア・ロードを探したのですが、時間も限られていたこともあり、当時は探せず断念しました。
今回も、ケアラケクア湾までは、すんなりと到着できたのですが、ケアラケクア湾からプウホヌア・ロードまでの間は住宅地になっていて、こんなところから道があるの?って雰囲気が漂っていたため、またもや探すのに一苦労しました。
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ガイドブックでよく見かけるティキ |
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プウホヌア・ロードは海沿いを走る草が生い茂る土手道で、走っている最中も、これでいいのか?不安が過ぎりましたが、プウホヌア・オ・ホナウナウ手前で、突然、整備された広い道路が開けてきました。さすが、国立歴史公園と言ったところです。
プウホヌアとはハワイ語で「逃れの地」、「聖域」と言う意味です。かつて、ハワイの王族は神々の子孫とみなされていた為、人々を支配して、法律制度のようなカプ(戒律)を強制する霊力を持つと考えられていました。このカプの掟を破った者の罰は死であり、誰も逃れる事が出来なかったそうです。そこでアリィ(王族)は犯罪者が逃れ、生きのびることができる、いくつかの場所をつくりました。
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ウミガメも棲む静かな入り江 |
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戦争中、この逃れの場所に避難した老人、子供、女性そして病人は安全だったそうです。また逃亡中の兵士も、この聖域に入ることによって救われたそうです。しかし、犯罪者と敗残兵が、この逃れの場である聖域に辿り着くまでには、いくつかの難関がありました。聖域の周りは王族やカプの執行者が住む区域があり、そこはとても神聖な場とされていた為、敵に追われている敗残兵らは、海を泳ぎ、北方からのみ、逃れの場に入る事が許されていました。
重要な掟を破った犯罪者たちが、規律を破ったことで神々を怒らせ、罪の無い一般の人々にも溶岩を流したり、津波を起こしたり、地震や飢饉などの災いを招くかもしれないと考えられていた為、容易には、この聖地に入る事ができないようにしていたそうです。犯罪者が逃れの地に入ると、祭司は夜通しにわたる儀式をとり行い、無罪の申し渡しをしました。赦免後、犯罪人は家に戻り、再び普通の生活に戻る事ができたそうです。
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甲羅干し中のウミガメ |
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こうしたカプ制度も、カメハメハ大王が亡くなり、息子のリホリホが王位に就いた、1819年、リホリホ自ら、故意に、「女性と共に食事をしてはならない」という掟(カプ)を破り、カプを破った後でも、災いはない事を自ら証明し、神殿、偶像、逃れの場を破壊するよう命令しました。こうして約300年間続いたカプ制度は終わりを告げたのです。
公園内はとても綺麗に整備されており、ここぞ日本人がイメージするハワイ!と思える程、素敵な場所です。澄んだ海に真っ白な砂浜。。。また、入り江にはウミガメのカップルが住んでいるそうです。運がよければ、波打ち際で悠々と甲羅干ししている姿を見ることができます。
南コナ地区小さな村の近くに位置しており、キリスト教の宗教改革の際に、すべてが破壊されてしまいましたが、1961年に合衆国の国立歴史公園として再建され、昔のヘイアウ(神殿)やティキ(神像)などが整備されました。
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