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カメハメハ大王誕生の地 |
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以前、このコーナーでご紹介したハワイ島北端にあるモオキニ・ヘイアウを通り過ぎ、さらに海沿いの凸凹道を少し走った開けた場所に、カメハメハ大王生誕の地と言われる場所があります。石垣に囲まれたBirth
Placeの中には「カメハメハ・アカヒ・アイナ・ハナウ」という名前の、カメハメハが産み落とされたといわれる石があるそうです。石垣内部にはそれらしき石が多数あり、どの石が「カメハメハ・アカヒ・アイナ・ハナウ」なのか確定するのはちょっと難しいかもしれません。
18世紀の中ごろ、ハワイ島の酋長アラパイヌイの姪、王族の娘ケクイアポイワがその石の上でカメハメハを出産したといわれています。そのとき空には雷鳴が轟き、ココイキと呼ばれるハレー彗星が輝いていたそうですが、それは後にカメハメハがこの地の強力な覇者となる事を意味していた、と言われたそうです。彼が生まれる前、何年も前から祈祷師達が「1人の偉大なる勇士が全ての島々を征服し統治するであろう」
と予言していたそうで、そのため、これを不吉な兆しとみたアラパイヌイは、生まれたばかりのカメハメハを殺害しようと謀りますが、生後間もないカメハメハは、ケクイアポイワの信頼する勇士、ナエオレにかくまわれ、ワイピオ渓谷でナエオレの子供たちとともに、密かに育てられたそうです。カメハメハは、彼の支持者達から戦士としての教育も授けられていたそうです。幼少時に付けられた「カメハメハ」という名前はハワイ語で「孤独な人」という意味だそうです。なお、カメハメハの正確な出生の記録は全く残っておらず、後世になって創作された部分も多いようです。
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人面岩? |
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カメハメハは1819年5月8日、ハワイ島カイルアの地で83才の生涯を閉じました。遺骨はコハラ・コーストのどこかに、近親者によってひっそりと葬られたと言われています。偉大な王の骨には、強力で特別なマナが宿っているとされているため、後の王たちも探したそうですが、現在でも、そのありかは決して明かされることがないそうです。カメハメハの埋葬場所は「星のみぞ知る」と言い伝えられていて、今でも謎に包まれています。
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ココイキの全貌 |
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パワー・オブ・ハワイの収録中、カメラの邪魔にならないように端によけていた私は、足元の石が気になりふと凝視してみると、その岩は、いわゆる『体育座り』をした人の形をしていました。
ビックリ仰天した私は、収録中にも関わらず大騒ぎしながら写真を撮り、ホテルに帰ってからコンピュータで確認してみると、確かに岩の中に顔らしき表情が浮かび上がっていました。東京居残り組みのスタッフからは、ハワイ島の噴火で犠牲になった方が浮かんでるのではないか?
との怖い意見もありましたが、きっと、そのようなことはないでしょうね。。。
私はどうにか、この広いカメハメハ大王誕生の地の全貌をデジタル・カメラに収めようと試行錯誤しましたが、
ここは海のすぐそばにあるためカメラごと海に落ちてしまう危険性もあり、残念ですが断念しました。。。
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カメハメハ一世のオリジナル銅像(バックはシビックセンター) |
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ところで、カメハメハ一世の銅像と言えば、ホノルルのハワイ旧裁判所前にあるものが有名ですが、
実はこちらハワイ島にあるのがオリジナルだそうです。1778年にキャプテン・クックがハワイ諸島を発見、その後100周年を記念して、1879年にイタリアでオリジナル像が作られたのですが、残念ながらこのオリジナルの銅像は運搬途中に嵐で船が難破してしまい、船もろとも海底に沈んでしまいました。その後、二体目が作られ、1883年のカラカウア王の戴冠式に序幕、設置されたのが、現在ホノルルにある銅像だそうです。
その後、海底から引き上げられたこのオリジナルの銅像は、カメハメハが生まれ育ったハワイ島北部(北コハラ)の近く、カパアウの町に置かれました。像の後ろには、シビックセンターがあり、ハワイ島移民の歴史を見ることが出来ます。
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カメハメハ一世をデザインした観光局の看板 |
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現在記録されているハワイの歴史は、クック船長の第3次航海によるハワイ来航以降に始まったと言ってもよいでしょう。このクックの来航は、カメハメハ大王によるハワイ統一と切っても切り離せない関係にあり、二人が時を前後して生まれたのも偶然ではないのではないでしょうか?
その後、カメハメハ大王を初代大王とし、8代100年にわたって続いたハワイ王国の歴史は、お馴染みの「ハワイの神話と伝説」ホームページの次のページをご覧下さい。
http://www.legendaryhawaii.com/history/history2.htm
ココイキは、以前このコーナーでご紹介した「モオキニ・ヘイアウ」の先にあります。行き方は、「モオキニ・ヘイアウ」の回をご参照ください。 |