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本の世界() ロバート・ルイス・スティーブンソン
近藤純夫
島を巡る生涯


幼いときから病弱だった スティーブンソン

 スティーヴンソンはスコットランド出身のエッセイストで詩人であるとともに、『宝島』に代表される冒険小説や、『ジキルとハイド氏』のような恐怖小説を著した小説家として多彩な才能を発揮しました。
 1850年、ロバート・ルイス・スティーブンソン(*1)はエディンバラで生まれました。祖父はイギリスの灯台建築で名を馳せた人物で土地の名家でしたが、彼は幼いときから結核に苦しみ、子ども時代はほとんど寝て過ごしました。  エディンバラ大学では工学や法学を学びましたが、卒業後は父親の反対を押し切って文学の道に入りました。1879年、スティーブンソンは11歳年上の既婚女性ファニーに恋をし、彼女の住むアメリカへ渡って、間もなく結婚します。その後、物書きとして地歩を固めていきました。
 けれども、彼の健康はその後もあまり回復しませんでした。医者が暖かいところでの養生を勧めたため、彼は妻とともに温暖な地域を旅することにしました。1887年のことです。この間、南太平洋のあらゆる島々を航海しました。彼らはハワイにも滞在しましたが、それは1889年と1893年のわずかな期間にすぎません。

*1 Robert Louis Stevenson。本名はRobert Lewis Stevenson

作品のなかのハワイ

『The Bottle Imp (壜の小鬼)』の表紙
 スティーブンソンのハワイに関する著作はいくつかあります。いずれも短編ですが、『The Bottle Imp(壜の小鬼)』や『Open Letter to the Rev. Dr. Hyde of Honolulu(ホノルルのドクター・ハイドへの公開状)』、『The Isle of Voices(声の島)』、『To Princess Kaiulani(カイウラニ王女へ)』、それに晩年の作品のひとつで、妻ファニーの連れ子であるロイド・オズボーンとの共著『The Eight Islands(八つの島)』などがあります。
 これらのなかで彼がもっとも気に入っていたのは『The Bottle Imp』で、サモアに移り住んだときにはサモア語にも翻訳する力の入れようでした。実直な人生を歩んできた主人公に与えられたものは、望むものはなんでも手に入るという魔法の小瓶でした。しかし、彼はこの小瓶を死ぬまでに購入した価格より安く他人に譲らないと地獄へ堕ちることになっていました。人の欲望をめぐるとても象徴的な寓話です。

州庁舎の前に立つダミア ン神父像。ワイキキには ダミアン博物館がある
 モロカイ島のカラウパパには、かつてハンセン氏病患者の隔離施設があり、ベルギー出身のダミアン神父が献身的な奉仕をしたことで知られています。しかし、当時、彼は曲解されて評判がよくありませんでした。義憤を感じたスティーブンソンはいくつかの著作で彼に触れて擁護していますが、とくに『八つの島』は神父を題材にして書かれています。
 長い航海の末、スティーヴンソンは家族とともにサモアへ家を建てて住みつきました。つかの間、彼は健康を取り戻したようにみえましたが、家を建てるとき、スティーブンソンはここが終の棲家となることを決意していたようです。内面の悲壮感とは裏腹に、財政的に裕福だった彼は20人もの使用人を使い、何不自由のない生活を送りました。そして1894年、脳出血で命を引き取りました。

スティーブンソンゆかりの場所


スティーブンソンが執筆 したとされる机と椅子
 ホノルル市内にはスティーブンソンにまつわる場所がいくつかあります。ひとつはマノア地区のワイオリ教会の敷地にある質素なわらぶき小屋です。当時、この小屋はワイキキ海岸にあって、ホテルのコテージとして使われていました。彼はこのコテージで執筆作業をしており、当時の机と椅子が復元されています。執筆していたのは、代表作である『宝島』だと言う説が一部にありますが、この作品が出版されたのは1883年ですから、それ以外の作品だったでしょう。
 ワイキキの端にもスティーブンソンにゆかりの場所があります。現在、カイマナ・ビーチ・ホテルがあるところは、スティーブンソンが滞在していた当時、「サンスシ(快適な場所)」と呼ばれていました。彼はここの光景がとても気に入り、よく訪れていました。
現在は「Hau Tree Lanai(「ハウの木のあるベランダ)」というレストランになっています。


シェラトン・モアナ・サーフライ ダーの中庭に立つバニヤンの巨木
 もうひとつは現在のシェラトン・モアナ・サーフライダーの中庭です。通称、バニヤン・ベランダと呼ばれていますが、この庭の中央にそびえるバニヤンの木は、スティーブンソンがハワイを最初に訪れたわずか4年前に植えられたものです。彼はここで、悩みを抱えていたカイウラニ王女といろいろな話をしました。その一部をまとめたものが『To Princess Kaiulani』です。

 スティーブンソンの話が少し長くなりました。イザベラ・バードは次回までお待ちください。

>> 過去の特集は、こちらでご覧いただけます。


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