|
ハワイではいたるところで見られるペトログリフのデザイン |
|
ハワイの島々には先住民が描いたペトログリフ(*1)と呼ばれる絵があり、表面が滑らかな熔岩(パホエホエ溶岩)や、崖、洞窟などの壁面に残されています。岩の表面は硬い石で削り取られ、シンプルな絵や文様が描かれています。ペトログリフは、ユーラシア大陸やオセアニア、アフリカなど、世界各地に見られますが、ハワイほどそのデザインが現代生活の中に取りこまれている場所はないでしょう。観光に依存した州という側面は大きいでしょうが、建物や衣類、民芸品など、さまざまなものにペトログリフは描かれています。ところが、ペトログリフとは何かということを知っている人はほとんどいません。
*1 petrographとも呼ばれる。日本語では岩刻画、あるいは岩面陰刻と呼ばれている。
|
集落を表しているとみられるもの。(ハワイ島ワイコロア)
|
|
昔のハワイアンが岩に刻んだ絵であることはわかっていますが、ではそれがどのような意味を持ち、いつ頃描かれたのかということについては、よくわかっていませんでした。もしかすると、近年になって、あるいはごく最近施されたイタズラなのかもしれないからです。
ペトログリフには大きく三つの目的に分かれます。ひとつは人を描いたもので、もっとも多く見られます。時代によって描き方に特徴があり、同じように見えるものでも意味合いが異なることがあります。一般的には、子どもの誕生や家系を記録したものが多いようです。
|
人を描いたもの(ハワイ島プウ・ロア)
|
|
ふたつめは同心円を描いたもので、円の中心には赤ん坊の健康を祈願して、へその緒が置かれました。へその緒はハワイアンにとっては象徴的な意味があり、マウナケアの山頂近くにあるワイ・アウ湖にも同じ習慣があります。母親は4000mという高所まで登ってきてこの湖にへその緒を投げ込み、赤ん坊の健康を祈願したのです。三つめは、碁盤の目状に穴があいたもので、これは陣取りに似たゲームの台として用いられたと言われています。
ペトログリフは、文字を持たなかったハワイアンにとって象形文字のような役割を担っていたのではないかという説もあります。いずれにしても、この分野の研究は始まったばかりなので、今後の研究によっては、まだ知られていないハワイアンの歴史が浮かび上がってくるかもしれません。
|
カヌー(モロカイ島カウナカカイ) |
|
ペトログリフを専門に研究している学者は世界中にいて、国際的な学会も存在しますが、これまでそれほど注目される存在ではありませんでした。とくにハワイの場合は数百年も昔のものからごく最近のものまで、時代変遷があるだろうことは分かっていますが、それぞれの年代を同定できなかったため、学術的な価値を規定できないまま今日に到っています。しかし、フィールドワークはいまも地道につづけられています。とくに、ビショップ博物館では博物館の設立当初から全島規模でペトログリフの分布を細かく調べ、資料として保存しています。その調査は徹底していて、集落全体に残された何千という単位のペトログリフを、細大漏らさず記載しています。
|
同心円状のペトログリフ(ハワイ島プウ・ロア) |
|
|
ゲームボード(ハワイ島サウスポイント) |
|
これまでペトログリフの学術価値を客観的に評価できなかったため、ハワイの歴史を知る上でその成果を応用できずにいましたが、観察者の洞察力がそれを補ったケースもあります。たとえばヒリナ・パリの熔岩洞窟の壁面に描かれたペトログリフを見た学者は、壁の上部と下部で描き方に時代変遷があることに気づき、もしかするとその下にはもっと初期の絵があるかもしれないと考えました。そこで床面に堆積する岩石を除去すると、はたしてそこには、さらにシンプルなタッチの古いペトログリフが見つかったのです。
90年代に入ると、熔岩に刻みを入れたときに用いられた石粉を同定する技術がみつかり、描かれた時代を推定できるようになりました。その成果が結実し、ペトログリフは、ようやく確かな比較考証を行えるようになってきました。
|
ペトログリフ分布図 |
|
ペトログリフはとても単純なデザインで、だれにでも書けそうにみえます。世界中で発見されているペトログリフに共通のデザインを見つけ、そのことから単一の文化を持った民族がかつて存在したと説く学者もいますが、その可能性は薄そうです。しかし、時代考証が進めば、エジプトのヒエログリフのように、隠されたメッセージが浮かんでくるかもしれません。ペトログリフの研究はハワイの歴史解明に大きな役割を果たす可能性が秘められています。
次回は西マウイ・北海岸の自然を2回に分けてお話しします。
|