|
舞踏シーン。ローベルニュ(1836年) |
|
ハワイの文化は音楽の分野においてもポリネシア文化の影響を色濃く受けています。ハワイの音楽の原点はポリネシア一帯はもとより、広く世界にみられるチャント(詠唱)です。ハワイではこれをメレと呼びました。文字を持たなかったポリネシア人は、古来からの言い伝えや神への祈りをメレによって継承したのです。
メレはメア・オリ(詠唱者)によって唱えられるメレ・オリ(あるいは単にオリ)で、踊りは伴いません。神々の誕生や人々の死、首長の就任といった重要な儀式のときに語られるほか、歴史的なできごとや伝説などを唱えます。一般に、ひつのメレ(チャント)は息を吸い込んだあと息継ぎをせずに一気に唱えられます。メレは森羅万象に存在するマナ(霊的な力)をことばの形で表現するものとも言われます。吐かれることばのひとつひとつが聞くものに実際的なメッセージを与えるのです。
|
クーのトーテムとパフ・フラ(大太鼓) |
|
踊りを伴う祈祷としてのメレはメレ・フラと呼ばれます。フラは、メレの意味を踊りによって表現することに端を発しています。やがて舞踏の補助的役割や叙情的な表現手段へと裾野を広げていきました。広くポリネシアに浸透していたメレやフラを通してのシャーマニズムが、マルケサスやタヒチから渡来したポリネシア人たちによって、新しい展開をみたのです。
メレとフラが合体したメレ・フラでは、踊り手はメレの本質を動きとして表現することを求められます。そのため、とても厳しい訓練を求められます。踊り手がフラをマスターするためには、オリの本質を体得しなければならないからです。オリにはとても細やかな表現手段があり、顫動音や破裂音、長母音などにもすべて意味があります。優れたフラの踊り手はハワイ語の造詣が深くなければなりませんでした。
|
イプ・フラ、イプ・ヘケの工房 |
|
神聖な儀式で踊る特別のフラでは、選ばれたものだけが踊ることができました。幼いときに踊り手に選ばれ、クム・フラ(フラの師)について長く厳しい修行を行うのです。修行を終えたと見なされた者はカプカイという浄めの儀式を行います。そして、ウキニと呼ばれる神前の儀式を行いました。これらをすべて終えた者だけが、儀式でフラを披露することができたのです。ちなみに、このフラは女性が踊ることはできませんでした。神の神託ではなく、神への願いを込めた踊りは、男が行うものとされていたのです。
|
パフ・フラの実演 |
|
このフラで使われたのがイプという、ヒョウタンから作られた打楽器でした。イプはポリネシア人が1000年以上も前にこの地にやってきたときから使われてきた楽器です。当初から舞踏用の楽器としての役割を持っていたようで、タヒチアン・ダンスがフラへと変質していく過程で、その役割が固定されていったと思われます。ヒョウタンがこのように重要な位置を占めるようになったのは、ハワイとハワイアンの誕生史を語ったクムリポという伝承に登場することも一因でしょう。植物と人間は兄弟の関係にあると信じるハワイアンにとり、ヒョウタンはカロ(タロイモ)と並んで重要な存在でした。ヒョウタンには「望み」が閉じこめられていると考えられていたのです。
|
燻る行程を省いため虫に食われたプ・イリ |
|
ちなみに、ヒョウタンを重ね合わせたイプヘケはハワイ独自の楽器として誕生しました。ウリウリ(ウリーウリー)も古くから使われてきましたが、羽根飾りが付けられたのは後世になってからのことです。この他にも多くの楽器が編み出されました。ハワイは他のポリネシア諸国に較べ、とても楽器の種類が多いのが特徴と言えます。いずれの楽器も、西欧人の到来までメレと深く関わりながら発展していったのです。
次回はコーヒーの木や、コーヒー産業についてお話しします。
|