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日系移民史
近藤純夫

元年者の時代

大槻玄沢が著した『環海異聞』
 日本人が初めて外国に移り住んだのは室町時代だと言われています。以後、江戸時代初期まで約300年間にわたって、主に東南アジア方面に多くの日本人が移り住みました。しかし、その後の鎖国政策で、日本人移民は一時途絶えることになりました。

 ハワイと日本人との交わりに関する最初の記録は、蘭方医である大槻玄沢の『環海異聞』に記されています。仙台近くの漁師がカムチャツカに漂流し、ロシアを経てホノルルに立ち寄ったという記録です。1804年のことですから、ハワイではカメハメハ1世がハワイ諸島を統一しはじめた頃のことです。カウアイ島はまだカメハメハ軍の勢力が及ばず、独立した国だった頃でした。その後、日本では捕鯨業が盛んになりましたが、この時期に遭難で救助され、ハワイに渡った者も少なくありません。そのなかでもっともよく知られているのは、中浜(ジョン)万次郎でしょう。土佐の見習い漁師だった万次郎は13歳のときに遭難。アメリカの捕鯨船に助けられ、しばらくアメリカに滞在したとき英語を習得し、以後、日米の通訳者として日本とハワイの政府間交渉にも活躍します。

中浜(ジョン)万次郎

 そのような少数の例外を除くなら、1868年5月に149人の日本人移民がハワイへ渡ったのが最初となります。ちなみに、元年者という名前は彼らが明治元年(1868年)に日本を出発し、ハワイの地を踏んだことに由来しています。当時、カウアイ島では1835年にサトウキビのプランテーションが始まり、中国人労働者が最初の移民として活躍しました。その後、ハワイ政府では他人種の労働力も必要と判断し、その一環として日本人の移民を江戸幕府に打診したのです。

当時の移民の旅姿(サトウキビ博物館)

 この最初の移民を送り出すにあたってはさまざまな問題がありました。当時、江戸幕府は開国直後でしたので、外国公使はまだ少なく、ハワイの公使もおりませんでした。そこで当時神奈川県に住んでいたユージン・M・ヴァンリードがハワイ総領事に任命されたのですが、350人の移民希望者に対して180名の許可しか下りませんでした。同年、江戸は官軍の支配下に入り、幕府の発給した旅券はすべて新政府の旅券と交換するという名目のもとでヴァンリードから取り上げられました。しかし、新旅券は発給されないままでした。そこで彼は5月22日、自らの判断でイギリス船サイオト号に乗り込んでいた移民希望者を旅券がないまま出航させました。*1 

 *1 このうち30名は出航直前に下船した。

ホノルル港で他島へ渡る船を待つ日本人(1899年、『図説ハワイ日本人史』)

 これが日本政府で問題とされ、ヴァンリードは人身売買を行ったという罪で訴えられます。紆余曲折ののち、彼の罪は不問に問われましたが、以後にしこりを残すことになりました。翌1869年10月、日本政府は移民者全員を帰国させるべく公使をハワイへ送りました。移住者たちが、さまざまな苦情を訴えたことに端を発するこの問題は、本土のサンフランシスコで過大に取り上げられ、日本政府としても無視することができなくなったためです。

 サトウキビ畑での仕事はたしかに大変なものでしたが、実際にはそれまでの中国人労働者の仕事を通して可能な労働量を見きわめていたことと、肥大化する一途のサトウ産業を支えるためにより多くの労働力を必要としていたため、過酷な労働は要求されなかったようです。政府特使の呼びかけに対し、戻ってきたのは結局43名にすぎませんでした。

ハワイ島ワイナク耕地の日本人村(1890年代、『図説ハワイ日本人史』)

 彼らは3年間契約だったため、契約終了後は大半が帰国したということになっていますが、実際は、残った100名以上のうち、契約終了後に帰国したのは11人にすぎませんでした。残りのほとんどは本土への移住を許可されたので、約半数がサンフランシスコに移り住みました。しかし、その後の動向は杳としてわかりません。

 最終的にハワイに残ったのは25名で、その大半は現地のハワイ女性と結婚した男たちでした。この25名が今日に至る日系ハワイ人の大本となる元年者の人たちとなったのです。

 次回は太平洋プレートの移動についてお話しします。

>> 過去の特集は、こちらでご覧いただけます。


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