ラピタ文化からポリネシア文化へ
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ビスマルク諸島からサモアに至るラピタ遺跡跡
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3000年以上も昔(紀元前1500年〜紀元500年)、ニューギニアからサモアの辺り一帯には精細な文様を刻んだ土器を持つ、ラピタと呼ばれる文明(文化)が広がっていました。また、彼らの遺骨もわずかながら発見されています。ちなみに、ラピタの名は学者が命名したもので、最初に遺跡が発見されたニューカレドニアの土地の名に由来します。実際にそのように呼ばれた種族や土器が存在したわけではありません。ポリネシア文化がラピタ文化を背景に生まれたとは一概に言えないものの、遺跡から発掘された人骨や、加工した貝殻、食糧となった魚などの地理的変遷から、彼らがポリネシア人の先祖に大きく関わっていることは間違いがないようです。彼らが再び東進を開始する2000年ほど昔まで、ラピタ文化は現在のメラネシア一帯で花開きました。
彼らはその後さらに東進しますが、ラピタ文化とポリネシア文化を直接に結ぶものは残念ながらそれほど多くはありません。そのひとつは分析可能な人骨が十分にないことと、次に述べる土器の消失が大いに関係します。
アンデサイト・ライン(安山岩線)
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詳細な文様が施されたラピタ式土器 |
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カリフォルニアの西端からアリューシャン列島へ線を引き、カムチャツカ半島の東端を通り、北方領土と北海道の間からマリアナ海溝、ソロモン諸島、ニュージーランドへと至るラインをアンデサイト・ライン(安山岩線)と呼びます。このラインより外側には安山岩がありますが、ラインに囲まれた太平洋地域はほぼ玄武岩のみです。これに島の成長の過程でサンゴ礁やサンゴが加わります。
玄武岩は内部に多くの気泡がありますし、土壌化したものも土器の素材には適しません。ラピ式の土器は当初、サモアやトンガにも持ちこまれましたが、素材となる土が乏しいせいで、土器制作の文化は衰頽の道をたどります。当初はラピタより単純な文様の土器が造られましたが、やがて無文様の土器となり、その後、土器制作そのものが消滅します。太平洋諸島では土器はすべて木の器に置き換わったのです。木の文化はポリネシア諸島の特徴を表しますが、これは同時に遺跡の長期保存をほぼ不可能にしてしまいます。マルケサス諸島のフアヒネで発見された長距離航海用のカヌーはきわめて珍しい例外だと言えます。
ただし、文様は消滅したと言い切れない側面があります。土器は消滅しましたが、いまもポリネシアの島々に伝わる刺青やカパ(タパ)、あるいはカヌーのデザインには、ラピタの文様を間接的に表現されていると考える学者もいます。この文様は同時にさまざまな宗教的意味合いや、ことばに代わる情報伝達表現(マオリ族など)として利用された側面もあります。
文化の伝播
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ポリネシア民族は大柄な人が多い |
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わずかに発見されたラピタ人の人骨からは、彼らがかなり大柄(180cm以上)であったことが推測されています。現在、この体型にもっとも近いのはサモア人やトンガ人(トップページの画像参照)でしょう。彼らがラピタ人の末裔であるとは断言できませんが、極めて深い関係にあることは間違いありません。
その後(紀元500〜)、ポリネシアの人々は再び東進をはじめ、クック諸島を経由してソサイエティー諸島に至ります。そこからさらに北東にあるマルケサス諸島へと進み、そこから南のマンガレヴァ島周辺、イースター島へと達し、さらに北のハワイ諸島へと達したと考えられています。前々回にお話しした言語の変遷図はこれらの歴史的変遷を表にまとめたものです。マルケサス諸島に達したポリネシア人がどのようにしてハワイ諸島に達したかについては、「歴史の謎に迫る
(1)、(2)」をご覧ください。
これらの移動を間接的に物語る証拠のひとつとして次のような物語がクック諸島にあります。
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コアの巨木。かつてはこの木から長距離用のカヌーも造られた。 |
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『昔、ラタという若い男がカヌーをつくりはじめたが、木を切るにあたって必要な儀式を怠ったため、切り倒した木は元に戻ってしまった。森に住む小人たちが彼の切った木を再生したのだった。ラタは何度かそれを繰り返すが、ついに小人たちはラタの前に現れ、儀式を怠れば神の同意は得られないと諭したのだった。神への祈りを捧げたあと、ラタは無事、カヌーを造り上げたが、そのカヌーは島でもっとも速かったという。』
ハワイにもこれとよく似た逸話が残されています。
『昔、ラカという若者がカヌーを作ろうと森に入り、コアの木を切り倒した。しかし、翌日には木は元に戻っていた。何日もそれが繰り返されたので、彼は森で寝ずに見張った。すると、メネフネと呼ばれる小人がやってきて元に戻していた。彼は激怒し、そのうちの一人を殺してしまう。残ったメネフネ(一般には小人と言われている)は命乞いをし、助けてくれるならマノ(サメ)よりも早く海を走るカヌーを造りましょうと言う。こうしてラカは島でいちばん速いカヌーを手に入れたのだった。』
いずれの逸話でも小人が登場し、木は何度も再生します。また、カヌーの性能はすばらしく、海の脅威であったサメを凌ぐスピードで漕ぐことができました。ポリネシアに広く伝わる物語が、クック諸島からハワイに伝播した際、風土に合わせて変化したひとつの例えです。
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