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熟した実。乳液が滲んでいる |
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パンノキはクワ科パンノキ属の植物で、フィリピンとパプアニューギニアの間に位置するモルッカ諸島の原産です。ポリネシア地域だけでなく、古くから太平洋の広い地域で主食として用いられてきました。学名を"Artocarpus
altilis"と言います。ギリシア語でパンを意味する"artos"と、果実を意味する"karpos"の合成語で、"altilis"には「よく肥えている」の意味があります。英名はBread
Fruit、和名はパンノキと言います。ハワイ名は"ulu"ですが、サモアでも"ulu"、パンノキが食文化で重要な位置を占めたタヒチでは"uru"と呼ばれます。
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葉は独特の切れ込みが特徴 |
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樹高は12m〜18mほどで、まれに30mを越す巨木もあります。穂状の花(花穂)は雄花(15-25cm)と雌花(8-10cm)に分かれて、同一の木に咲きます。切れ込みの入った光沢のある葉は成長すると50〜60cmもの大きさになります。果実は10cm〜25cmほどの大きさとなり、枝先に2〜3個ずつつきます。外観が似ているジャックフルーツもパンノキの仲間です。太平洋諸島に広がる過程で多くの交雑種が誕生し、今日、ハワイで見られるものも、原産国のものとはいくぶん性格が異なります。熟した果実は緑色のものもありますが、ふつうは黄色やオレンジ色になります。また、トゲ状の表皮をもつものや、枝豆を巨大にしたような形状のものもあります。熟すとわずかに甘い香りが漂います。パンノキは内部に種子のあるもの(タネパンノキ)と種子のないもの(タネナシパンノキ)に大きく分かれますが、後者が圧倒的に多く分布します。サモアやソロモン諸島では主に前者が、ハワイやタヒチでは後者が、フィジーでは両方が見られます。
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穂状の花 |
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パンノキは有用植物としてポリネシア人によってハワイに持ちこまれたもののひとつです。デンプン質の果実は水分があり、どちらかというとパンよりサツマイモに似ています。最大5kg近くになる実は、ひとつで成人男性1日分のカロリーと栄養をまかなえると言われています。成木には300個ほどの実をつけるため、1本のパンノキがあれば一生をまかなえるとも言われました。幹から取れる白い乳液はゴム質で、皮膚病や化膿止めなどの治療に用いられたほか、カヌーのコーキング剤としても用いられました。パンノキ(ウル)にはウルという人物が登場するポリネシア神話があり、彼は自らをパンノキに変え、飢饉を終わらせたと言われています。
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パンノキ |
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太平洋諸島のパンノキと欧州との結びつきは古く、イギリスではジョセフ・バンクスが、キャプテン・クックの第3次航海(※クックはこのときハワイ島のケアラケクア湾で住人に殺害されています)に同行したウイリアム・ブライをタヒチに向かわせ、船員用の食糧としてパンノキの可能性を探りました。1788年、バウンティ号という船でタヒチに赴いたブライは、半年ほどここに滞在し、パンノキをはじめとする何種かの有用植物を積んで母国へ戻ろうとしますが、タヒチでのすばらしい暮らしを忘れることができなかった乗員たちが反乱を起こし、船を乗っ取ってしまうという事件(バウンティ号の反乱)が起きました。船長は小さなボートに乗せられて追放されたのです。この事件は当時の母国に伝わり大きな話題を呼びました。そのせいでパンノキの魅力はさらに増したのです。ブライはその後、1791年に再びタヒチに赴き、当初の使命を果たしますが、この頃にはすでにフランス人によってパンノキの栽培が行われていた上、パンノキよりもバナナの効能が注目されはじめたため、彼の努力は期待されほどの成果を挙げることはできませんでした。
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果実の断面 |
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果実はさまざまな形で調理されます。煮る、焼く、油で揚げるという方法がありますが、伝統的には果実を割ってから地面を掘って小石を並べたあとに火を熾し、焼けた石の上に果実を置きます。その後、バナナやタコノキの葉で覆ってから水を注ぎ、発生する水蒸気で蒸します。あるいは単に穴に埋め、バナナの葉などで覆ったあと、再び土をかけて発酵させてから食べるという方法もあります。後者は長期保存に耐えます。この状態のものと、焼いたパンノキの実を混ぜ合わせてこねてポイにしたものを、ココナッツミルクに浸して食べる方法もありますが、ハワイではあまり行われていないようです。
次回はマウナ・ロアについてお話しします。
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