火山の誕生の背景
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カルデラ内部 |
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マウイ島のほぼ東半分を占めるハレアカラは、ハワイ島のマウナ・ロアやマウナ・ケアと同じように、なだらかな山容を持つ盾状火山です。標高は3056m。山頂には短径3.5km、長径9.5kmの巨大なクレーターがおおよそ北から南西にかけて広がっています。最後に噴火したのは1750年と言われていますが、地質学的な根拠ではなく人類学的な資料からの推測です。実際はさらに古いからもしれません。比較的最近まで、ラ・ペルーズがマウイに来島した1786年から、バンクーバーが来島した1793年の間に最後の噴火があったとの説が有力でした。東マウイの南端に近いマケナとラ・ペルーズ湾の間には1790年に流れたとされる広大な溶岩流地帯が残っており、これは当時のハワイ人によって目撃されたとされているからですが、はっきりとしたことは分かっていません。いずれにせよ、少なくともその後200年以上、噴火は起きていませんが、ハレアカラはまだ死火山ではありません。
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衛星写真。黒い部分がクレーター(NASA提供)
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マウイ島は最初に西マウイの部分が海上に出現しました。西マウイの火山活動が沈静化したいまから100万年ほど前にハレアカラが海上に出現したとされています。75万年ほど前に最大の山容となり、その後浸食を受け、30万年ほど前にはハレアカラはほぼふたつの山塊に断裂します。しかし、さらに7万年ほど前に再び噴火活動が活発となり、噴出した溶岩が渓谷を埋め尽くして今日ある形になりました。山頂クレーターは、北に向かって伸びるコオラウ・ギャップ(峡谷)と、南西に向かって伸びるカウポ・ギャップに大別できます。後者はさらに中腹で二手に分かれ、北側はワイホ・イ渓谷、南側はキーパフル渓谷となって海岸まで延びています。
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スライディング・サンズ・トレイルを行くトレッカー |
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クレーターのほぼ全域はハレアカラ国立公園となっています。クレーター内の登山道を下りていくと、周辺の斜面に銀色をした球体が点在しているのに気づきます。これは標高2200m以上でしか生育できないハワイ固有種のギンケンソウ(silver
sword)です。かつて先住のハワイ人は銀剣草をボールに見立て、蹴り転がしたと言われています。ギンケンソウは徐々に数を減らし、20世紀に入るとわずか数十株にまで数を減らしてしまいます。このことを憂慮した環境活動家たちが行動を起こし、ギンケンソウを守ることを主な目的として国立公園化を訴えました。その結果、山頂のクレーターは1916年にハワイ島にあるハワイ火山国立公園の一部に指定されました。そして1961年7月にはキパフル・ギャップが加えられて単独の国立公園となりました。
ギンケンソウを除くと、ハレアカラ・クレーターは月世界を思わせる荒涼とした光景が広がります。雨は多孔質の火山土のなかに浸透してしまうため、植物はほとんど根づかないためです。クレーター状の赤や黄色、灰色、黒に見える部分は溶岩や火山灰、噴石の跡です。NASA(アメリカ航空宇宙局)はこの光景を月世界に見立て、1960年代にはここで宇宙飛行士の訓練を行いました。また、キューブリック監督の名作『2001年宇宙の旅』の撮影地としても知られています。
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