カナロア
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キャプテン・クックが収集した鳥の羽でできた神像 |
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カナロアは魚や爬虫類の神で、ポリネシア全域で最高の位にある神でもあります。タヒチではタ・アロア、同じく、タヒチやトンガ、サモア、アオテアロア(ニュージーランド)ではタンガロア、あるいはタガロア、マルケサスではタカ・オアなどと呼ばれます。
サモアでは海の神として崇められ、海に生息するあらゆる魚や人魚、さらには波をも司っています。神々の神であるランギと、大地の女神パパの間に生まれた息子です。ちなみにサモアという国名は、「サ」という接頭語と「モア」で構成されていますが、モアはタンガロアの息子を指します。つまり、サモアという国はタンガロア(カナロア)の息子によってつくられたということです。
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木片に彫られた神像 |
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タヒチでは次のような伝説があります。「天にタンガロアという神がいた。タンガロアは一羽の鳥を地に向かわせた。だが、地には海が広がっているばかりで、鳥は羽を休むことさえできずに飛び続けた。天から様子を見ていたタンガロアは岩を海に放った。岩は数々の島となった。」という天地創造説です。同じく、タヒチでもタンガロアは万物の創造主として崇められました。
ポリネシア人にとり、タンガロアは当初、神々のひとりに過ぎず、特別の存在ではありませんでした。しかし、海を司っていたため、海洋の民にとっては次第に不可欠な存在となっていきました。やがて、タンガロアは妻のヒナとともにポリネシアのすべての神々を創造する存在となり、伝説のなかには、自分の体をちぎって世界を創造したというものもあります。
マオリではサモアと同じく、タンガロアは天の神ランギ(ランギ・ヌイ)と大地の女神パパの間に生まれたとされます。タンガロアの兄弟にはハウメア(ハワイにおいてサメの神であるカーモホアリイはその息子)、ロンゴ(ロノ)、タネ(カーネ)、タウヒリ、ツゥー(クー)がいます。
タンガロアはハワイにおいてカナロアと名を変えました。ハワイでも当初は他のポリネシア諸国と同じく万物の創造主として崇められましたが、やがてタコの化身や、黄泉の国を司る存在ともなりました。そして18世紀末以降、キリスト教の布教がはじまると、いつしか、サタン(悪魔)と見なされるようになりました。
ロノ
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ヘイアウを護る神像 |
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ロノは戦いの神でもありますが、それ以上に豊饒の神として知られた存在でした。秋に数ヶ月に渡って行われる収穫祭(マカヒキ)では、もっとも重要な神となります。
ロノはアオテアロアではロンゴと呼ばれ、平和と農業の神であるとともに、幸福をもたらす神でもありました。ポリネシアの神々への信仰には、ときに人を捧げる儀式(人身御供)を伴いましたが、ロノだけはそれを行うことを禁じられていました。ちなみに、神に祈りを捧げる儀式の場はヘイアウと呼ばれます。人を捧げるヘイアウはルアキニ・ヘイアウ、人身御供を伴わないロノ神のためのヘイアウはマーペレ・ヘイアウと呼ばれました。ロノはタヒチではロ・オ(ロ・オ・イ・テ・ヒリポイ)と呼ばれ、病人を治癒する癒しの神でもありました。また、サモアではロ・オ、マルケサスではオノと呼ばれました。ロノは戦いの神としてロノ・マカイとなり、年に一度の間マカヒキと呼ばれる収穫祭ではロノ・イ・カ・マカヒキとして崇められました。マカヒキは一般に10月から2月まで行われ、この期間は戦いがカプとされます。ロノはまた、雲や風、海を司る神でもありました。ロノの妻はカーネやクーと同じく、ラカとされています。
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ロノ神を象徴する白い帆 |
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1779年2月、キャプテン・クックがケアラケクア湾に入港したとき、ハワイはマカヒキ祭の最後の期間にあたりました。ハワイの先住民たちは、ロノが白い大きな布を掲げながら島を一周し、最後に彼らの前に現れると信じていました。そのため、ロノ・マカヒキではロノのシンボルとして十字に組んだ木に白い布をかけたものを持ち、「エ・ロノ」と声をかけながら、数ヶ月をかけて島を1周しました。ロノの「旗」が通るとき、住民たちは大首長(アリイ・ヌイ)に対して行うように、ひれ伏して旗の通過を待ったのです。クックの帆船(レゾリューション号)は、巨大な十字の木枠に帆をなびかせてハワイ島をほぼ1周し、絶妙のタイミングでケアラケクア湾に入港したため、本物のロノと思いこんだのでした。
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ヘイアウを護る神像 |
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とはいえ、この出来事はそれほど単純に説明のつくものではありません。先住ハワイ人にとっては信仰と首長たちの勢力競争が、英国を初めとする諸外国にとっては、ハワイの覇権の目論見があり、これらは複雑に絡み合っています。このことについては、いずれ機会を改めてお話しします。 |