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クックが見たもの (1)
近藤純夫

キャプテン・ジェームズ・クック

 イギリスの探検航海者として世界にその足跡を残したキャプテン・ジェームズ・クックは、知られている探検航海と名前ほどには多くのものを残していません。彼の生まれ故郷や肉親、記念館、記念碑、墓、あるいは航海日誌以外の資料など、彼を知るために不可欠なものはほとんど残っていないのです。*1 ハワイを含むポリネシアと、環太平洋一帯の社会に大きなインパクトを与えたクックの軌跡を、ハワイを中心に見ていくことにします。

*1 ハワイ島ケアラケクア湾とカウアイ島ワイメアの銅像をはじめ、世界各地にクックの記念碑や像を見ることができますが、だれでも簡単に見ることのできる場所にあり、維持管理がきちんと行われている記念碑はごくわずかです。また、イギリスのクリーブランド州ミドルズブラには小規模ながら、キャプテンクック生誕地博物館(The Captain Cook Birthplace Museum)があります。

 1728年11月3日、ジェームズ・クックは社会の最下層に近い貧しい家庭に生まれました。スコットランド出身の父親の名も本人と同じくジェームズと言います。クックは聡明な子だったようで、農園主の援助で学校に通うことができました。当時のイギリスは世界最強の国でしたが、学校教育を受けることのできた者はほんのひとにぎりにすぎません。学校で学ぶことができるのは数の計算と簡単な読み書き、その何倍もの時間を費やした宗教教育といったものでしたが、学校を出ると出ないとでは天と地ほどの待遇の差がありました。産業革命時代のイギリスは、子どもであっても1日十数時間も重労働を行っていたのです。クックは学校を出ると食品店に丁稚として勤めます。俸給はなく、寝床すら与えられず、夜はカウンターの下に毛布を敷いて寝ていました。それがあたりまえだったのです。間もなく彼は店主に認められ、小さく質素ながらも部屋を与えられるまでになりました。

キャプテンクック生誕地博物館

 彼の暮らしたヨークシャーの港町ステイスは一年中強風の吹きすさぶ凍てついた土地でした。ここには多くの石炭船が入港していたのですが、クックはあるとき、安定した仕事を捨て、石炭船の船員になる決意をします。食品店に「就職」してからわずか8ヶ月後のことでした。1746年、クックが17歳のときにウィットビーという、より大きな港町へ移り、ここでジョン・ウォーカーという船主の所有する石炭船に、3年契約で見習い船乗りとして雇われます。船はウィットビーの北にあるニューカッスル近くで石炭を積み、ロンドンまで運びました。結局、この仕事は9年間も続くことになりました。

 クックはウォーカーに信頼され、石炭船1隻を任されることになりました。しかし彼はこの途方もない待遇を断ってしまいます。そして1755年、彼は英国海軍に一兵卒として入隊したのでした。当時、英国はフランスとの開戦が間近に迫っており、徴兵も行われていましたが、彼は自ら欲して入隊したのでした。聡明で仕事熱心なクックはたちまち、艦長に認められ、出世階段を猛スピードで駆け上がります。クックはカナダ沿岸の測量と地図製作を主たる任務とし、その腕を高く評価されました。後の探検航海に必要な経験と技術はこの時代に培われたのです。十数年に渡り英国とカナダを往復する生活を送ったクックは、1762年にエリザベスという女性と結婚しました。

エンデバー号の模型

 18世紀は探検航海が盛んな時代でした。英国もまた他国との競争に負けまいと、ジョン・バイロンやサミュエル・ウォリスなどを派遣し、多くの探検航海を行ってきました。ジェームズ・クックはそのような国際情勢のなかで金星観測の命令を受けたのです。金星が太陽面を通過するのを測量できれば、地球と太陽との距離を知ることができるということで、全欧的に天体観測がもてはやされていました。その最適地としてタヒチが候補となり、クックを船長とする探検航海が決まったのです。1768年のことでした。

 彼はこのとき、エンデバー号という船を使いました。この船は彼が乗り慣れた石炭船を改造したものです。当時の基準で見ても小さく、ずんぐりとしていて、船足は遅く、船内の天井は低く薄暗く、見た目にひどく貧相に見えました。おまけに、喫水線が低いので時化るとひどく揺れました。しかし、彼にとってはそれ以上にメリットの方が大きかったのです。一つには頑丈であったこと。石炭を輸送する船ですから、通常よりも構造的に強く、しかも修理しやすくできていました。二つ目は船体に比較して収容能力が大きいこと。三つ目は喫水線が低いこと。未知の海域を進むわけですから、できるだけ船底は浅くして、座礁を防ぐ構造になっていた方がよかったのです。四つ目は構造材に金属を使用していないこと。当時の帆船には多くの箇所に銅が用いられていましたが、エンデバー号は一部に鉄や真鍮の釘を使っただけでそれ以外はほとんど木製でした。これによって錆を防ぎ、大幅に耐久性が増したのです。クックがハワイを訪れたのは第3次航海でのこと。そのときに用いられたレゾリューション号やディスカバリー号もまた石炭船、あるいはそれと同じ構造の船でした。クックは航海を通じ、石炭船が多くの欠点を補ってあまりある長所を持つことを確信したのでした。第1次航海に用いられたエンデバー号は、定員84名、総排水量386トン、全長30m、最大幅9mで、1768年から71年まで用いられました。

タヒチでの金星観測

 第1次航海では当初の予定地であるタヒチで金星観測を行い、その後ニュージーランドやオーストラリア東岸を探検しますが、公の目的とは別に、秘密の指令を英国海軍より受けていました。知られざる南方大陸の発見です。当時、地球の南には理想郷とも言える巨大な大陸があると噂されていました。雪と氷に閉ざされた南極大陸を指すものであったかどうかは定かではありませんが、海軍を持つフランスやロシアなどの列強はこの大陸の探索に強い関心を抱いていました。タヒチでの観測を終えたクックは南進を開始しますが、周辺にまったく島影を発見できず、比較的短期間に南の大陸発見を諦めます。海軍からは、大陸が発見できなかった場合は、タスマンによって発見されていたニュージーランドの詳細な調査を命じられていました。彼はこの島を一周して測量を行い、その後オーストラリア東海岸の調査を経てイギリスに帰還します。

 この航海で得たものは1000を超える植物標本に、500本の魚類のアルコール漬け標本、同行の画家パーキンソンが描いた1500点以上の絵など膨大な博物資料でした。しかし、それ以上に重要なことは、多くの現地の人々との交流です。なかには敵対的な土地もありましたが、大部分は互いに疑心暗鬼ながらもそれなりに友好的に交わったのです。クックのポリネシア諸島に関する深い理解はこの航海を通じて培われていったので
す。

バンクスが航海中に用いた顕微鏡

 しかし、クックたちが冒した罪も大きなものでした。まれに船員による殺人や強姦、窃盗などもありましたが、それ以上に大きな問題は病原菌の散布でした。太平洋一帯の住人は、クックなど、大陸の住人が持ちこんだ麻疹やインフルエンザ、あるいは梅毒など、各種ウィルスの犠牲となったのです。クックが来航する直前に50万人はあったと思われるハワイの人口が、100年と経たぬうちに5万以下に激減したのもそれが理由です。

 この航海にはパトロンともいうべきジョゼフ・バンクスが同行し、帰国後、彼は絶賛を浴びます。しかし、クックは軍人ということもあって、巷間ではそれほど話題にのぼりませんでした。何より彼は第二次航海の準備に忙しかったのです。

※トップページの画像は、クックが育ったウイットビーの町の風景です。この続きは年が明けてから行います。第2次航海と、ハワイを訪れることになる第3次航海の途中までをお話する予定です。
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