|
キャプテン・ジェームズ・クック |
|
イギリスの探検航海者として世界にその足跡を残したキャプテン・ジェームズ・クックは、知られている探検航海と名前ほどには多くのものを残していません。彼の生まれ故郷や肉親、記念館、記念碑、墓、あるいは航海日誌以外の資料など、彼を知るために不可欠なものはほとんど残っていないのです。*1 ハワイを含むポリネシアと、環太平洋一帯の社会に大きなインパクトを与えたクックの軌跡を、ハワイを中心に見ていくことにします。
*1 ハワイ島ケアラケクア湾とカウアイ島ワイメアの銅像をはじめ、世界各地にクックの記念碑や像を見ることができますが、だれでも簡単に見ることのできる場所にあり、維持管理がきちんと行われている記念碑はごくわずかです。また、イギリスのクリーブランド州ミドルズブラには小規模ながら、キャプテンクック生誕地博物館(The
Captain Cook Birthplace Museum)があります。
1728年11月3日、ジェームズ・クックは社会の最下層に近い貧しい家庭に生まれました。スコットランド出身の父親の名も本人と同じくジェームズと言います。クックは聡明な子だったようで、農園主の援助で学校に通うことができました。当時のイギリスは世界最強の国でしたが、学校教育を受けることのできた者はほんのひとにぎりにすぎません。学校で学ぶことができるのは数の計算と簡単な読み書き、その何倍もの時間を費やした宗教教育といったものでしたが、学校を出ると出ないとでは天と地ほどの待遇の差がありました。産業革命時代のイギリスは、子どもであっても1日十数時間も重労働を行っていたのです。クックは学校を出ると食品店に丁稚として勤めます。俸給はなく、寝床すら与えられず、夜はカウンターの下に毛布を敷いて寝ていました。それがあたりまえだったのです。間もなく彼は店主に認められ、小さく質素ながらも部屋を与えられるまでになりました。
|