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クックが見たもの (2)
近藤純夫

幻のオーストラリア大陸


イースター島の住人(左の2人)とニュージーランドのマオリ(右の2人)

 クックの第2次航海は第1次航海の翌年に行われました。イギリス王立協会がクックに対し、「オーストラリア」の調査を委託したのです。ここで言うオーストラリアとは、当時、その存在を信じられていた「テラ・アウストラリス・インクゴニタ」のことです。このラテン語には「未知の南方大陸」という意味があります。最初の世界周航を終えたクックは、南に巨大な大陸はないと報告したのですが、さらなる探検を彼に求めたのです。

 1772年7月13日、クックが指揮をとるレゾリューション号と、ウォリスの世界周航に同行したトビアス・ファーノーが指揮をとるアドベンチャー号の2艘がプリマスの港を出ました。レゾリューション号には、クックの他、後にカナダやハワイに足跡を残すバンクーバーなどが乗員としていました。前回に引き続いてジョセフ・バンクスも同行する予定でしたが、彼の希望で改造した船の後尾があまりにも重く、安全な航海はできないと判断されたため、彼は憤慨してこれを取りやめてしまったのです。*1 代わりに乗りこんだのが、ドイツ人の植物学者であるヨハン・フォルスターと、息子の博物学者ゲオルク、それに風景画家のウィリアム・ホッジスなどでした。

 *1 バンクスはその後、アイスランドの探検に出かけました。

第2次航海に同行したヨハン・フォスター(左)と息子のゲオルク

 クックは南アフリカのケープタウンを経て再び南へ向かいました。この間、寒さのせいで船に積んだ動物たちのほとんどが死んでしまいます。クックは南極圏(南緯71度10分)を越えて探索したものの、結局、幻の大陸はついに見つからず、その名はすでに発見されていたオーストラリアに付されたのでした。

 ついに北へと進路を変更し、北上しはじめたとき、彼らはニュージーランドの南島を見つけます。その後、タスマニア島*2 の調査を経て、タヒチへ向かいます。船に壊血病*3 の患者が出たためでした。このときクックは、広い太平洋の多くの島で、彼らの話す言語が互いにとてもよく似ていることに気づきます。身体的特徴や宗教・文化についても共通性があることから、彼らは共通の祖先を持つに違いないと考えたのでした。

ニュージーランドにあるクック記念碑

 *2 当時、タスマニアは深く切れ込んだ湾で、島として独立しているとは思われていませんでした。
 *3 ビタミンCが欠乏することによって起こる歯肉からの出血や倦怠感、衰弱などの症状。悪化すると死に至りました。

 タヒチでは、ボラボラ島のオマイ*4 と、ライアテア島のオディディという2人の青年を通訳として乗船させました。その後、クックはポリネシアの島々を周航しますが、このとき、ヨハン・フォルスターは、太平洋の島々をポリネシア文化圏とメラネシア文化圏に分けました。

 *4 彼は英国まで行き、どこでも大人気となりました。

タヒチのライアテア島の住人オマイ(左上)とサンドイッチ諸島の人々

 クックたちはタヒチを出航後、ソサイエティ諸島、クック諸島、トンガ諸島を経てニュージーランドのクィーンシャーロット入江に入港します。ここでアドベンチャー号の乗員10名が現地のマオリ族に食べられるという事件が起きました。その後、イースター島、マルケサス諸島、トゥアモトゥ諸島を経て、ニューカレドニア島やノーフォーク島を発見しています。ちなみに、ハワイではおなじみのクックパインやノーフォークパインはこのとき発見されたものです。その後、南米南端のホーン岬を経て、再度ケープタウンへ寄港し、アゾレス諸島を経て本国へ戻りました。この航海では、ジョン・ハリスンが開発した精密時計の試験に成功しています。この時計を用いることで、精確な経度を測定することができるようになりました。

壊血病の解決

航海では激しい攻撃にあったり(上)、反対に友好的にもてなされたりした

 クックの業績は数多くありますが、そのなかでも特筆すべきことはすべての航海で、病気による死者を出さなかったことです。当時、長距離航海をする船乗りは壊血病によって死ぬことが多かったのですが、1人も死者を出しませんでした。*5

 *5 出航前から病にかかっていた者は除きます。

 クックは長距離航海の船乗りが避けることのできなかった壊血病を予防するため、塩漬けのキャベツを用意しました。その結果、3度の航海では一度もこの病に罹る者を出しませんでした。

 帰国後、クックは英国海軍からの名誉退職を薦められ、小さな病院の病院長となります。けれども、彼は海から離れた生活を送ることはできませんでした。そこでクックは北アメリカ航路の探検を計画しましたが、これは実現しませんでした。その代わり、第3次の世界周航が行われることになったのです。その先に過酷な運命が待ち受けているとも知らず、彼は新たな探検に胸を躍らせていたのです。

※トップページの画像は、第3次航海でクックたちがたどったハワイ諸島の航路です。次回はカウアイ島のノウノウ山についてお話しします。クックの第3回は来月お話ししますので、少しお待ちください。
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