マウイ島が海面に姿を現したのは110万年ほど前。最初に西マウイが誕生し、続いて東部のハレアカラが形成されました。初期のマウイ島はモロカイ島、ラナイ島、カホオラヴェ島をも包みこむ巨大な島でしたが、その後の活動で分離し、今日の島々が形成されました。
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イアオ針峰 |
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西マウイ
西マウイの最高峰は標高1764mのプウ・ククイ。この山を中心としたマウナ・カハラヴァイ(*1)は神々の住むところと信じられ、イアオ渓谷をはじめとする周辺の山は王(アリイ・ヌイ)の墓地として代々使われてきました(*2)。西マウイは世界有数の多雨地帯で、平均年間降雨量は9000mmにも達し、多くの滝がかかりますが、最大落差を誇るホノコーハウ滝は、プウ・ククイの山頂付近から落ちています。
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ホノコーハウ滝 |
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西マウイには多くの固有植物や固有動物が分布し、シルバーソードの仲間であるグリーンソードや小型のオヒア、ロベリアなどがよく知られています。しかしながらこの地域もハワイの他の地域と同じようにブタやヤギの食害という問題を抱えています。
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カハラヴァイ(kahalawai)は「色とりどりの」という意味で、西マウイの山々の外観の違いを表現したものと思われます。 |
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現在、西マウイの大半はマウイ・ランド&パイナップル・カンパニーが所有しています。 |
東マウイ
いまから100万年ほど前に西マウイの火山活動が沈静化すると、その後にハレアカラが海上に出現しました。ただし、海底での噴火は200万年ほど前から始まっていました。ハレアカラは75万年ほど前に最大の山容となり、その後侵食を受け、今日の山容(島)が形づくられたのはおよそ60万年前のことです。さらに30万年ほど前にはハレアカラはほぼふたつの山塊に断裂しました。
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ハレアカラ山頂小屋 |
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さらに7万年ほど前に再び噴火活動が活発となり、噴出した溶岩が渓谷を埋め尽くして今日の形状ができあがりました。また、過去3万年の間に起きた噴火はほぼ南西リフトゾーンと東リフトゾーンに集中しています。
山頂クレーターは、北に向かって伸びるコオラウ・ギャップ(峡谷)と、南西に向かって伸びるカウポ・ギャップに大別できます。後者はさらに中腹で二手に分かれ、北側はワイホ・イ渓谷、南側はキーパフル渓谷となって海岸まで伸びています。
ハワイの火山活動と言えばハワイ島のことのように思われますが、ハレアカラではこの1000年の間に少なくとも10回以上は噴火が記録されています。最新の噴火は1790年に記録されており、これ以外にも1480年から1600年にかけて数度の噴火があったことが判明しています。このことからも分かるように、マウイ島の火山活動はまだ終息していません。
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シルバーソード(ギンケンソウ) |
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島のほぼ全域を占めるハレアカラの標高は3056m。山頂には短径3.5km、長径9.5〜12km、最深部は860mの巨大なクレーターが北から南西にかけて広がります。クレーターが今日の形状に固まったのは12万年前から15万年前と推定されます。山頂から南西方向のラペルーズ湾方面と、東麓から東のハナにかけての南麓には、ハワイ島とよく似た溶岩平原が見られます。山頂クレーターから南東部の海岸に至る渓谷はハレアカラ国立公園となっており、多くの観光客が訪れますが、西部は手つかずの自然として手厚く保護されています。
東マウイのほとんどを占めるハレアカラ(*3)は「太陽の住みか(Hale a Kala)」という意味ですが、この名前は山頂のクレーターに付けられたもので、山全体を指す言葉ではありません。山頂には半神マウイの伝説があります。マウイが太陽を捕まえ、それまで高速で回転していた太陽をゆっくりと回るように指示したというものです。
*3 ハレアカラはマウイ島全体の面積の77%を占め、容積比では97%を占めます。
荒涼としたクレーターの景観とは対照的に、南東麓のキパフルは深い緑に覆われ、渓谷が刻まれています。オヘオと名づけられたプールがあり、この一帯には年間6350mmもの降雨があります。
次回はモロカイ島の自然についてお話しします。トップページの画像は東マウイから見た西マウイの南端と、その先に浮かぶモロカイ島です
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