|
東部にある島の最高峰カマコウ山 |
|
モロカイ島は180万年から190万年前頃に誕生した島で、ラナイ島やマウイ島とかつては地続きでした。東西に61km、南北に16km。細長いこの島に住む人は8000人ほどです。信号ひとつないモロカイ島は100万都市ホノルルを擁するオアフ島からわずか41kmしか離れていません。つまり、島ひとつ分の距離もないということです。それほど近い場所にもかかわらず、この島は諸島でもっとも古い自然とライフスタイルが残されています。
かつてのモロカイは呪術の島とも呼ばれていました。多くのカフナ(祭司、呪術者)が住み、島内ばかりか諸島全体に影響力を持っていたと言われます。なかでもモロカイ最古のヘイアウとして知られるイリイリオーパエは血塗られたヘイアウとして恐れられていました。
|
カラウパパの町 |
|
深い森と世界有数の断崖、長大な海岸、砂丘を持つこの島の魅力は手つかずの自然という言葉に集約できます。都会的なスマートさとは無縁のこの地に1日でも滞在すれば、これまでの生活がいかにせわしかったか気づくことでしょう。
延々と連なるフィッシュポンド、鏡のように澄みわたったラナイ島とマウイ島とに囲まれた内海、冬場にそこで育つザトウクジラ、どこからでも見渡せる天空の天の川。モロカイは頭の回転を落とし、体の凝りをほぐしてくれるようなゆったりとした時間が流れています。
カラウパパ
|
ラバで崖沿いの道を降りる |
|
背後を閉ざすように立ちはだかる絶壁に囲まれた陸の孤島カラウパパ半島はいまから20万年ほど前に誕生しました。その後、長く手つかずの土地でしたが、900年ほど前に農地として開墾されました。18世紀後半以降、先住のハワイ人は西欧人との接触によって多くの伝染病に罹りましたが、ハンセン病もそのひとつでした。最初の患者は1840年に記録されています。その後1868年にカメハメハ5世の命令により、ハンセン病患者の隔離施設が作られました。ハンセン病は近年になって安全宣言が出され、半島に閉じこめられていた患者の多くは社会復帰しましたが、いまも25名(*1)がこの半島に残って生活を続けています。
海に向かって切り開かれたカラウパパ地区と、隣接するカラヴァオ地区はいまも静寂が支配し、ここに骨を埋める覚悟のひとたちを静かに見守っています。
カラヴァオから先にはワイコル、ペレクヌ、ワイラウという深い渓谷が連なっていて、モロカイ有数の景観を堪能できます。ただし、植生は大きく変化していて、いまは9割近くが外来の植物です。半島にある教会のひとつに、生涯をハンセン病患者のために捧げたベルギー人神父ダミアン師の墓があります。
*1 2008年現在
|
モアウラ滝 |
|
ハーラヴァ渓谷
幅約800m、奥行き約3kmに渡って伸びるハーラヴァ渓谷は650年頃から先住のハワイ人が住みついたと言われています。恐らくはもっとも古い時代に諸島に人が住みついた場所のひとつでしょう。ここには1ダース以上のヘイアウ跡がある他、大規模な用水路があります。
13世紀から14世紀にかけ、この地域は諸島で最も人口密度が高かったようです。ここにはタロイモ畑も数多くありましたが、幾度となく襲いかかる津波のせいで、壊滅的な打撃を受けました。(*2)水田は大きな被害を被りますが、津波は新しい土壌を用意してくれる側面もあり、今日でもタロイモをはじめ、野菜や果実、観葉植物などが栽培されています。
渓谷の最奥部にはヒプアプア滝(150m)とモアウラ滝(75m)があります。モアウラ滝にはモオと呼ばれるトカゲの化け物が住むという言い伝えがありますが、モオ伝説はハワイ島など他の島にもあります。
*2 最近では1946年と1957年に記録されています。
イリイリオーパエ・ヘイアウ
|
イリイリオーパエ・ヘイアウ |
|
モロカイ島中央の南海岸には、イリイリオーパエというヘイアウがあります。東西に約90m、南北に約30mもあり、島で最大最古であるとともに、ハワイ諸島で2番目に大きなヘイアウでもあります。かつては現在の3倍の規模があったと説く学者もおり、もしそれが事実ならハワイ最大のヘイアウということになるでしょう。
イリイリとは小石、オーパエは川エビのこと。昔、モロカイの首長がヘイアウ作りをメネフネという背丈の小さな人々に頼みました。彼らは石ひとつにつき川エビ1尾をもらうのを条件に、数キロメートル彼方のワイラウ渓谷から手渡しで石を運び、一晩で巨大なヘイアウを作ったと言われます。(*3)この伝説がヘイアウの名の由来となっています。
イリイリオーパエ・ヘイアウにはもうひとつ血生臭い伝説が残されています。ヘイアウはその目的によってさまざまな種類に分かれますが、イリイリオーパエはルアキニ型のヘイアウでした。これは人を生贄として献げるヘイアウです。伝説によれば、この土地の首長には10人の子どもがいましたが、そのうちの9人をヘイアウのカフナ(祭司)に取られ、生贄にされてしまいました。カフナが最後の子どもをも生贄に要求したとき、首長は激怒し、彼の守護神(アウマクア)に復讐を願いました。すると豪雨がテッポウ水となってヘイアウに押し寄せ、カフナは海に押し流され沖合にいたサメに食い殺されたのでした。
*3 メネフネ伝説はカウアイ島を筆頭に数多くありますが、いずれも依頼された仕事は一晩で片づけたとされています。
トップページはハーラヴァ湾です。次回は「モロカイ島(2)」と題し、北部と西部の自然を中心にお話しします。
|