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ラピタ人の残した紋様入りの焼き物 |
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海で生きる人々
ハワイ諸島には世界中から多くの人が移り住み、人種のるつぼという表現がもっともよく似合います。しかし、わずか1世紀半ほど前にはポリネシアから移住した人々しか住んでいなかったのです。では、ハワイ人の先祖であるポリネシア人たちはどこからやって来たのでしょう?
今から5000〜6000年前、中国南部から台湾付近一帯に、海で生計を立てる集団が出現しました。彼らの一部は交易に使用する貨幣として利用された真珠貝を求め、沖縄周辺にまで到来したとも言われています。彼らは島々の特産物を小さな船に積み込み、海を行き来して交易を行いました。
訪れた先々の島では異なった言葉が話されていたため、彼らは取り引きに必要な共通の言語を作り上げました。また、物資をやりとりすることで、言葉だけでなく、文化の一部をも共有しました。交易範囲が拡大していくと、共有する文化の範囲も拡大し、海で生計を立てる集団は島伝いに独自の文化を発展させていったのです。この文化が後のポリネシア文化の土台となりました。
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海洋交易を行った人々の経路 |
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地球は過去に何度か氷河期に見舞われました。最後の氷河期であるヴュルム氷期は今から約7万年前から1万3千年前頃まで続き、その間、海は凍りつく部分がいまよりずっと多く、海表面もかなり下がっていました。その結果、東南アジアのインドシナ半島やマレー半島からインドネシアのジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島にかけての海域はスンダランドと後の学者に名づけられた大きな陸地を形成していました。また、オーストラリア大陸とニューギニア島の間もひとつに繋がり、サフルという名の大陸を形成しました。ただし、スンダランドとサフル大陸の間には深い海峡があるため、このふたつの大陸が地続きになることはありませんでした*1。
*1: オーストラリアの先住民族であるアボリジニが5万年以上も多民族から隔離された世界に生きてきたのは、ウォーレス線と呼ばれるこの海峡の出現が理由です。
やがて氷河期が終わり、再び地球が温暖化すると、海面は上昇し、スンダランドの大部分は海底に沈みました。海洋交易を行っていた集団は急速に勢力が衰えましたが、その一方で長距離航海の技術を獲得した一部の集団はさらに南下し、陸地に定住する人々とは異なる風俗習慣を身につけながら独自の文化を作り上げていきました。この集団はインドネシアの島々を通過し、ニューギニア島の北方に浮かぶ島々にまで達したあと、東へと移動をはじめ、ニューブリテン島をはじめとするビスマルク諸島やソロモン諸島、そしてバヌアツやニューカレドニア島に到達します。
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シングルカヌー(セール付き) |
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これらの時期に形成されたのが、今日のミクロネシア文化圏とメラネシア文化圏です。ただし、メラネシアとミクロネシアでは同じモンゴロイドでも遺伝子的にはかなり離れているので、おそらくは同時進行的に別々の集団が移動を行った結果なのでしょう。これらの集団はやがてフィジーを経てポリネシア西端のサモアやトンガに至りました。精巧な土器の模様など、この時代に花開いた文化はラピタ文化と呼ばれ、メラネシアを中心に紀元前1300年から紀元前500年頃まで栄えたと言われます。
カヌーの進化
サモアに到達した人々は今日のポリネシア文化の基礎とも言える文化を創り上げました。その後、彼らはニウエ島やクック諸島などを経てタヒチやマルケサス諸島に至り、この地域に定住しました。当時のカヌー制作は5000年以上前に南アジアで発生した原型のカヌーと大きく異なりませんでしたが、航海術は飛躍的に進化しました。なぜなら彼らは「2つの不可能」を克服したからです。
ひとつは長距離移動の技術を修得したことです。それまでのカヌー航海は、目視できる島から島への移動が基本でした。海面が今日のレベルになる前の数千年前は島の数はいまよりもかなり多く、高度な技術などなくても移動は比較的簡単なものでした。彼らは船の速度を増し、積載量を増やすことで交易の効率を上げようとしました。船体を細くし、それを2艇つないだダブルカヌーの考案もそのひとつです。この結果、スピードを維持しつつ、積載量を増すことに成功したのです。
もうひとつの克服は、風上に向かって進む「タッキング」という技術を修得したことです。それまでは、至近距離の場合は風や潮流に逆らって漕いだり、中距離の場合は、行きは海流に乗り、帰りは順風に乗って戻るという方法でした。タッキングと積載量の多い船を手に入れたことで、彼らが未知の世界を発見する可能性は飛躍的に高まったのでした。ただし、数千キロに及ぶ大航海には、乗りこえるべき課題がまだいくつか残されていました。
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ダブルカヌー(セールは取り外してあります) |
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ダブルカヌー(セール付き) |
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ポリネシア
紀元前500年頃に北から到来した海洋民族はフィジーやサモア、トンガへ到来しましたが、そこで1000年ほど停滞しています。そこから先には島の情報がなく、海しか見えない未知の世界だったからでしょう。しかし西暦500年前後に人々がクック諸島へ渡ると、またたく間にタヒチやマルケサスまで到達しました。ちなみに、ポリネシアとは、poly(多数の)とnesia(島)という言葉から作られました。
人々は西暦700年前後に、最初はマルケサス諸島から、後にはタヒチからハワイ諸島に移り住みはじめました。しかし、彼らはハワイへ移住するまで200年ほど、タヒチ周辺にとどまっています。新しい島の発見を遅らせた最大の障害は途方もない距離だったに違いありません。なにしろ、マルケサス諸島とハワイ諸島の間には4000kmという途方もない距離があったからです。彼らはどのようにしてこの途方もない距離を克服したのか、また、その存在さえはっきりとしないハワイの存在にどのようにして気づいたのでしょう? これらについては次回にお話しします。
表紙の写真は帆はついていますが、パドルで漕ぐのが基本のシングルカヌーです。次回はカヌーと長距離航海(2)と題して今回の続きをお話しします。
古代から伝わるスターナビゲーションを用いて日本へやってきたダブルカヌー「ホクレア号」
「ホクレア号 横浜到着」(2008年6月21日掲載)
「ホクレアでの航海生活」(2007年6月21日掲載) |