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コア材を用いたビショップ博物館のハワイアンホール(09年8月に改装) |
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マルケサスやタヒチからハワイ諸島にやって来たポリネシア人たちが乗ってきたカヌーはカマニという木で作られていました。ハワイに定住した人たちは新たなカヌーを製作すべくカマニの木を探しましたが、見つかりませんでした。そこでカマニに代わる素材としてコアに白羽の矢を立てたのです。カマニもコアも一般的な木よりも比重が軽く、油分に富んでいるため、船の素材には都合のよい材料でした。ハワイに多いオヒアは堅く重いため、カヌーの材料には適しませんでした。
コアは長くハワイのカヌー文化で重要な位置を占めていましたが、やがて大きなカヌーを作るのに必要な巨木は姿を消してしまいました。コアは決して成長の遅い木ではありませんが、直径が1メートルを超す巨樹になるには50年から80年かかります。コアの木以外にカヌーの材料に適した巨木はなかったに違いありません。やがてハワイから長距離航海の技術は消えてしまいました。(*1)
*1 ハワイだけでなく、ポリネシア全域で長距離航海の文化は廃れてしまいました。
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小さな双葉が本葉、三日月型は葉柄 |
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コアはマメ科の植物でアカシアの一種です。直径0.7〜1.0cmのボンボン状の薄青色の花をつけ、受粉を行なう季節になると花粉で淡黄色になります。受粉後に豆果(8〜30cm)をつけます。若い枝には小さな葉と大きな三日月型の複葉をつけます。小さな方が本葉で、三日月型の大きな葉は葉柄が変化したものです。樹高は15〜35m、英名をハワイアン・マホガニー、ハワイ名にはコアの他に、コアイアやコアオハ、コアイエなどがあります。
コアはハワイ固有種で、ニイハウ島とカホオラヴェ島を除くハワイ諸島の、低地から海抜2200mまでの乾燥地と湿地に広く自生します。
コアは赤味を帯びた美しい光沢があり、木目がはっきりとしています。また比較的柔かな木質のせいで木の繊維が波打っているため、光のあたる角度によってさまざまな色合いになります。これをトラ目(カーリー)と呼び、カーリーが美しく変化の大きなものは高い人気があります。
コアは西欧文化と接触する以前はカヌーやパドル、サーフボードなどに用いられました。また、コアの葉を灰にしたものは虚弱児用の薬などに、樹皮はタパの染色に用いられました。ただしコアは香りが強く、食品に臭いを移してしまうため食器には向きません。
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コア製のウクレレ。表面にトラ目がよく現れている |
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19世紀以降は、家具や楽器など、木工芸品としての人気が高まり、リリウオカラニ女王のピアノや、エマ女王に寄贈されたセント・ピータース教会の長椅子、あるいはモクアイカウア教会の説教壇や壁板など、歴史的建造物の要所にコア材は使われてきました。今日、コアは家具や楽器、工芸品などで多く用いられますが、厳しく伐採が制約されているため、非常に高価なことでも知られます。
なかでもウクレレの素材としての人気はとても高く、今日でも欠かすことができません。重厚な音色はコアだけが持つ特性とも言われており、プロ・ミュージシャンの多くがコア材のウクレレを使用しています。
コアと自然環境
コアの森はハワイ諸島の数カ所に残りますが、19世紀以降はサトウキビ畑や酪農などの開拓によって次々と姿を消していきました。コアの森の急速な消滅のきっかけは、1793年にジョージ・バンクーバーがカメハメハ大王に牛や羊を寄贈したことがきっかけです。バンクーバーの助言により、放牧された牛は手つかずの状態に置かれたため、繁殖した牛の食害などによって、コアをはじめとする周辺の固有植物は大きな打撃を受けたのです。とくに幼木のコアは動物たちにとって大変なごちそうであったため、壊滅的な打撃を受けました。
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ハワイ島キラウエア地区でもっとも大きいとされたコアの木。(現在は朽ちて倒れている) |
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コアの森はハワイミツスイ(イイヴィ)やハワイガラス(アララ)、コミミズク(プエオ)など、ハワイ固有の鳥の生息地ともなっていますが、生息地の縮小とともにその数を減らしています。なかでもアララは絶滅寸前の状態で、1980年代より保護を開始し、今日では全頭が飼育管理下にあります。今日、ハワイのコアの森はおおよそ全盛時の10分の1以下の規模しかありません。そのため、カウアイ島のコケエ周辺やハワイ島のマウナ・ロア南麓、マウナ・ケア東麓(ハカラウの森)などの森は、手厚く管理されています。
コアの神話
コアに関するこんな物語があります。ラカという少年が、漁に出たまま姿を消した父親を捜すため、カヌーを作ることにしました。それを祖母に話すと、彼女は、森へ行って三日月型の葉をつけた木を見つけろと言いました。彼はコアの木を見つけて切り倒しましたが、翌日みると木は元通りになっているのです。そんなことが三度繰り返されたので、彼は木の下で眠ることにしました。するとメネフネという小さな男たちが鼻歌を歌いながらやって来ました。彼らが倒れた木を元通りにするのを見た少年はそのうちのひとりを捕まえて殺し、他の連中を睨みつけました。彼らは命乞いをし、「もし助けてくれるのならこのコアの木で立派なカヌーをつくりましょう」と答えました。ラカは申し出を受け入れ、もらったカヌーで父親を捜しに出かけました。残念ながら父親はすでに亡くなっていましたが、カヌーの性能はすばらしく、彼は島で一番の漁師となりました。
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内部が赤い様子がよくわかる。柔らかいため内部が腐食していないものは少ない |
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この神話はコアの木の優れた性質を語るとともに、当時の暮らしにどれほどカヌーが深く関わっていたかを示すものです。話の内容は少しずつ異なりますが、ポリネシアの広い地域でこの神話は語り継がれてきました。
トップページはハワイ島ハカラウのコアの森です。左手奥に見えるのはマウナケア山頂。白く見えるのは残雪です。次回は「花物語(25)」と題し、ナウパカについてお話しします。
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