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横浜駅前で行われた「全国きずなキャラバン」 |
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当時は常磐ハワイアンセンターと呼ばれた現在のスパリゾートハワイアンズは、1966年に誕生しました。日本のエネルギーが石炭から石油に変わってゆくなかで、 炭坑町は廃れる一方でした。その街を再生させたのは、炭鉱に暮らす娘たちと、そこに住む人びとです。施設のオープンは66年ですが、ダンサーたちが学んだ常磐音楽舞踊学院の設立はその前年の65年で、関連施設のなかではもっとも古い歴史を持ちます。
人々が選んだ未来は、東北にハワイを持ってくること。常夏の世界を、ダンスショーと総合遊戯施設で実現しようとしたのです。しかしフラをはじめとするポリネシアダンスのノウハウはほとんどなく、東京の舞踏家に講師を依頼しました。保守的な土地のなかで、肌を露出させる趣味の悪い仕事という偏見と戦いながらも、少女たちはフラに魅了され、ついにはステージを縦横無尽に踊りまわるプロのダンサー集団へと変貌していきます。ちなみに、当時の入場料は400円。お土産品のアロハシャツやムームーが300円という時代でした。
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タヒチアンのステージ |
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66年のハワイアンセンターオープンに少し遅れ、観光ホテルやレストハウスがオープンし、翌67年には熱帯植物園のバナナ園や、露天のナイアガラ風呂などがオープンします。その後、次々とプールや温泉、ホテルをオープンさせ、巨大な複合レジャー施設として発展してきました。1990年にはスパリゾートハワイアンズに名称を変更。施設内にアロハタウンやフラ・ミュージアムなどをオープンさせ、文化的な発信も開始しました。
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タヒチアンダンス |
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そのハワイアンズが、今年3月11日に震災に遭遇します。大地震、津波、原発事故はわたしたちの知るところですが、いわきとハワイアンズはそれ以降も立て続けに試練に遭いました。最初の一連の地震でメインホールであるウォーターパークはかなり被害を受けました。可能な限り早期の回復を目指し、震災直後から修復は進んでいたのですが、その後の震度5を超える地震の繰り返しに、そのつど計画の立て直しを迫られたのです。しかし、関係者はそれにも一切めげることなく着実に修復を進め、10月1日に再オープンしました。そして12日には新人ダンサー6名も無事デビューを果たしています。
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ファイアナイフダンスのステージ(復活は来年1月の予定) |
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建物以上に大変だったのは、従業員の方たちだったと思います。震災で直接、間接に多くの被害が出たことに加え、働くべき職場が閉鎖され、再建できるかどうかも不透明ななかでさまざまなプロジェクトが立ち上がりました。そのひとつが「フラガール 全国きずなキャラバン」です。ダンサーが3チームに分かれ、全国津々浦々に出かけ、福島の元気をアピールしました。元気をもらう立場の人たちが元気を与える目的は、日本中が元気を取り戻せば福島も元気づけられるという意味なのかもしれません。ときに暑さに倒れながらも踊りつづけた根性は、『フラガール』で知られる46年前の、オープン当時の努力に勝るとも劣りません。
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映画『フラガール』のクライマックス・シーンを演ずる |
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『がんばっぺ フラガール! 〜フクシマに生きる。彼女たちのいま〜』と題したドキュメンタリー映画が制作され、今月29日より全国で公開されます。音楽はジェイク・シマブクロ、ナレーションは蒼井優という、映画『フラガール』の関係者たちが協力した、震災から4ヶ月の彼女たちの軌跡を追いかけた作品です。彼女たちの陰で、いまも日差しを浴びることができないまま、それでもくじけずに練習を積むファイア・ナイフダンスのメンバーを含め、関係者はステージの完全復活に向けて、いまもさまざまな努力を続けています。
畳みかけるように襲ったさまざまな災害をはねのけ、施設内の温泉はほとんど無傷のまま、すでに客を迎えていますし、食事や周辺の観光も復活しています。そして、来年1月中には、ウォーターパークとともにモノリス・タワーのグランドオープンを予定しています。
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2012年1月オープン予定の新ホテル、モノリスタワー |
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ハワイアンズは日本のハワイという切り口ではありますが、ハワイ文化を日本に伝える重要な担い手のひとつであり続けたことは事実です。彼らが元気であることは、ハワイを愛するわたしたちのためでもあること。震災関連のさまざまな問題については、十分な安全を確保しているという公的な宣言もありますから、これまでにも増していわきを訪れ、互いに元気を与える関係でありたいと思います。
トップページはスパリゾートハワイアンズのホテル正面口です。次回はハワイの絵画についてお話します。 |