ハワイの自然、文化、歴史がテーマのアロハWEBカワラ版
目次
【バックナンバー】
特集:知る・歩く・感じる
キルト・パラダイス
ハワイ日和
ミノリのカウアイ日記
アロハ・ブックシェルフ
ハワイ・ネットワーク
新定番!ハワイのおみやげ
スタッフルーム
アロハ・ピープル
フラ・ミュージアム通信
【ホクレア号】
ホクレア号横浜到着
ホクレア号での航海生活
ハワイの食卓
スタッフのいちおしハワイ
ハレピカケ倶楽部
アロハ・コラム
パワー・オブ・ハワイ
私のフラ体験
ハワイ日系移民の歴史
アストン・ストーリー
>アイランド・クローズアップ
ハワイ島編
マウイ島編
ホロホロ.ハワイ
カワラ版 トップページ
バックナンバー
クリック!
 
RSS1.0
ラナイ島の自然(2)
近藤純夫
座礁したリバティー号
座礁したリバティー号
 ハワイ諸島は火山活動によって生まれました。ハワイ島やカウアイ島など、人の住む主要な島は2つ以上の火山が合体して島を形成しています。しかし、ラナイ島はラナイハレという単一の火山で形成された島です。したがって島の中央部が高く、そこから海に向かって四方に低くなっています。島の中央には起伏の少ない高原地帯が広がっていて、そこではかつてパイナップル畑が広がっていたということを前回書きました。それ以前にも牧場や畑作りが試みられましたが、どれもうまくいきませんでした。最終的にマードックという事業家がラナイ島のほぼすべてを買い取り、ここに2つの巨大リゾートホテルを建て、観光を基本とした収入体系ができて、ラナイ島の経済は今日にいたります。


ラナイ島
 島の暮らしが厳しいのは降雨量が少ないことが最大の理由です。乾燥に強い植物を栽培するにしても、地の利が悪く、人件費や運送費、港湾設備の規模の問題などがあって利益を期待できないのです。比較的緑が多い北海岸も、大半は乾燥に強いキアヴェの木があるくらいで、大地は乾燥のせいで赤土や砂で覆われています。

 ハルル・カホークヌイの分岐を西へ進むと5分ほどで道の終点となります。車で進むと注目するものなどほとんどない光景が続きますが、ここを歩くと様々な発見があります。道路のあちこちにある鳥のフットプリント(足跡)もそのひとつです。キアヴェの花の香りや鈴なりの実、鳥の鳴き声、潮騒、白砂、廃屋に打ち棄てられた農耕機具など、自然や歴史の跡がそこかしこに残されていることに気づくことでしょう。


道路に残る鳥の足跡
道路に残る鳥の足跡
北の海岸を訪ねる

 終点のポアイアヴァから西の海の先に視線を移すと、1950年に座礁した貨物船リバティー号が見られます。ラナイ島の周囲は遠浅なところが多く、かつて多くの船が岩礁に乗り上げ、座礁したのです。一説によれば100隻以上の船が沈んでいるとも言われます。ビーチを少し先へ歩くと、灯台跡があります。これを目印に岩の上を少し登るとヘイアウの跡やペトログリフがあります。太古の昔からごく最近まで、この地で人々の暮らしが営まれていたことを知ることができます。

廃墟で見つけたシチメンチョウの子ども
廃墟で見つけたシチメンチョウの子ども
 いったんハルル・カホークヌイへ戻り、そこから今度は東へしばらく進むと、ケオームクの集落に出ます。ここまでほとんど人家もなく、人が来ること自体が希な場所に、忽然と教会が現れます。崩壊しかけたマーラマラマ教会を再建しているのです。マウナレイからケオームクに至る沿岸部にはかつて漁村がありました。西欧文明との接触後の1899年にはマウナレイ砂糖会社が設立され、サトウキビ農園が開墾されました。これらの農園で働いた人の多くは日本人です。いまではその痕跡もわずかですが、ここには収穫したサトウキビを積んで走る鉄道も敷設されていました。これらのサトウキビはマウイ島まで運ばれ、精糖されたのです。

再建中のマーラマラマ教会
再建中のマーラマラマ教会
 農園が誕生してから1年と経たぬうちに周辺の集落に人は集まり、ラナイ島の将来に明るい兆しが見えはじめました。しかし、オアフ島でも次々とサトウキビ農園が作られると、経営に暗雲が垂れこめるようになりました。2年後の1901年に新しく掘った潅漑用水に海水が混ざり、決定的な打撃を受けた砂糖会社は工場を閉鎖してしまいました。束の間の栄華だったのです。工場跡は海岸周辺に生育するキアヴェの林にいまも打ち棄てられたままになっています。

日本人労働者の碑
日本人労働者の碑
 この歴史にはひとつ興味深い逸話が残っています。マウナレイ砂糖会社がサトウキビを運搬するために鉄道を敷設したとき、近くにあったヘイアウの土台石を破損させてしまいました。ハワイの神々はこれに怒ったため、水に塩が混ざるようになったというものです。

 砂糖で繁栄した当時を教えるものは、1903年に建てられたマーラマラマ(正確にはカ・ラナキラ・オ・カ・マーラマラマ教会)しかありません。島の住民は当時の歴史を風化させないために朽ちかけていた教会を再建することにしたのです。教会の近くにはフィッシュポンド(養魚池)の跡もありますが、いまは海の底に沈み、干潮時にしかその姿を現すことはありません。

マカイヴァ岬からモロカイ島を臨む
マカイヴァ岬からモロカイ島を臨む
 ここからさらに東へ進むと、森のなかに日本人移民の碑が現れます。碑に書かれた三界萬霊とは、天下泰平の祈願と無縁仏を祀ったものです。現在は管理が行き届いてませんが、教会の再建と並行して整備されることでしょう。ここからさらに少し進むと、島の東端にあたるマカイヴァ岬に到達します。人の来ない海岸からは海をはさみ、モロカイ島カマロ辺りの集落を臨めます。道はさらにカポホ渓谷まで続き、そこからラナイハレの中腹を縫うマンロー・トレイルまで山を登る道がありましたが、いまは荒廃し、打ち棄てられています。

トップページの写真は難破船海岸の先に見える座礁船です。次回はハワイを題材としたお勧め小説を紹介します。



【ハワイの自然】
 ダイヤモンドヘッドに登ろう (1) 2002年8月1日
 ダイヤモンドヘッドに登ろう (2) 2002年8月15日
 火山と溶岩 (1) 噴火に伴う溶岩 2002年11月7日
 火山と溶岩 (2) ハワイアンと溶岩 2002年11月21日
 火山と溶岩 (3) マグマとその動き 2003年11月20日
 火山と溶岩 (4) プレートの移動 2003年12月4日
 火山と溶岩 (5) 島の誕生と消滅 2003年12月18日
 マウナケアと天文台 (1) 2003年2月20日
 マウナケアと天文台 (2) 2003年3月6日
 渓谷の魅力 (1) ワイピオ渓谷 2003年10月2日
 渓谷の魅力 (2) ワイメア渓谷 2003年10月16日
 渓谷の魅力 (3) ワイポオ滝トレイル 2005年6月16日
 西マウイ・北海岸の自然 (1) 2003年7月3日
 西マウイ・北海岸の自然 (2) 2003年7月17日
 風と雨と虹の話 (1) 2002年9月5日
 風と雨と虹の話 (2) 2002年9月19日
 マカプ・ウ岬を登る 2004年4月15日
 トレイルを歩く(1) マノア滝トレイルを歩く 2004年5月6日
 地底の世界 (1) 2004年9月2日
 地底の世界 (2) 2004年9月16日
 観光洞窟 2004年10月7日
 トレイルを歩く(2) ペペオパエ・トレイル(モロカイ島) 2004年10月21日
 トレイルを歩く(3) ナーパウ・トレイル 2004年11月4日
 滝のある風景(1) レインボー・フォールズ 2005年2月3日
 滝のある風景(2) ワイルア・フォールズ 2005年2月17日
 滝のある風景(3) アカカ・フォールズ 2005年3月3日
 キラウエア (1) 2005年4月7日
 キラウエア (2) 2005年4月21日
 キラウエア (3) 2005年5月19日
 マウナ・ロア 2005年8月18日
 ハレアカラ 2005年9月1日
 トレイルを歩く(4) メネフネ神話発祥の山に登る
(ノウノウ山イースト・トレイル)
2006年2月2日
 トレイルを歩く(5) ポロル渓谷 2006年5月18日
 キパフル・ウォーク 2006年6月1日
 温泉 2006年8月3日
 ピヘア展望台(カウアイ島) 2007年11月15日
 グリーンサンドビーチ散策 2007年12月20日
 トレイルを歩く(6) ワイアコア・ループ・トレイル 2008年6月19日
 ハレマウマウ 2008年9月18日
 マウイ島の山々 2008年10月16日
 モロカイ島の自然(1) 2008年11月20日
 モロカイ島の自然(2) 2008年12月18日
 ラナイ島 2009年1月15日
 カホオラヴェ島 2009年2月19日
 ワイルク川をさかのぼる 2009年3月19日
 パワースポット(1) 2010年1月21日
 パワースポット(2) 2010年2月18日
 パワースポット(3) 2010年3月18日
 キラウエア・イキ・トレイル 2010年7月15日
 クイラウリッジ・トレイル 2010年9月16日
 キラウエア岬 2010年10月21日
 ハワイの空 2010年11月18日
 カエナ岬 2011年4月21日
 ハワイのサンセット 2011年6月16日
 ハワイの星空 2011年9月15日
 ラナイ島の自然(1) 2012年1月19日
 > その他の特集は、こちらの「バックナンバー」からご覧いただけます。
 

個人情報保護の方針 クッキーの利用について
Copyright (C) 2002-2003 PACIFIC RESORTS.INC., All rights reserved.