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ハワイの歴史 ヘイアウ(1)
近藤純夫
ハワイ島カイルアコナに復元されたアフエナ・ヘイアウ
ヘイアウとは、ハワイの宗教施設で、神殿、あるいは祭壇を指します。(※ヘイアウに相当する言葉は、ほかにも、エヴェアイ、ハイアウ、ハレ・ポキなど数多くあります。)このような施設は、先住民の祖国であるタヒチやマルケサスで、マラエとかアフと呼ばれていたものです。マラエには「集会所」の意味があり、アフは「祭壇」を意味します。
集会所と祭壇が一緒に語られるのには理由があります。ポリネシアの島々には文字がなかったため、「祈り」や「語り」は、人々に重大事を記憶してもらうという役割がありました。歴史的な出来事はとくに重要で、神への祈りとともに語られることもありました。そのため、祈りの場は集いの場でもあったのです。
ハワイでそのような役割を担っていたのはヘイアウです。ヘイアウは基本的に神との交わりを行う場所ですが、雨乞い、豊饒祈願、豊漁祈願など、現世の悩みや陳情に応じてさまざまなタイプがありました。
ヘイアウの儀式を執り行うのはカフナと呼ばれる祭司の役割でした。カフナには序列があり、もっとも高位のカフナはカフナ・ヌイ(大祭司)と呼ばれました。内部にあるハレ・マナという建物はヘイアウの責任者であるカフナと、その土地を治めるアリイ(首長)のみしか入ることを許されませんでした。ヘイアウにおけるカフナは祭司であるとともに、儀式においてアリイと平民の間を取り持つ役割もありました。
ヘイアウの基本構造
ヘイアウの構造
ハワイのヘイアウは小規模のものを除き、基本的に石(ポーハク)の土台が作られます。ポーハクにはマナと呼ばれる霊的なエネルギーがあり、その上に作られるものを浄める力があるとされました。土台の周囲には柵(パエフム、パー)を巡らせました。柵外にある敷石部分(パパホラ)と柵内の敷地(カフア)があり、土台となる敷石(キーパパ)の上にさまざまな宗教施設が作られたのです。
祭壇(供物台)はアフ、またはクアフなどと呼ばれ、神をかたどった像(キイ)はヘイアウを監視するために設置されました。キイの置かれた場所はラナヌ・ウ、またはカパ・アウと呼ばれます。神託を受ける塔(アヌウ)に用いられる柱はナナフア、捧げ物を置く台はレレまたはウヌ、不要の供物を埋める穴はルアパ・ウー、あるいはルア、ウヌなどと呼ばれました。
ヘイアウ内の建物は、パフと呼ばれる太鼓を保管する小屋(ハレ・パフ)のほか、ヘイアウ内の火を絶やさないようにするためのかまど室(ハレ・ウムまたはハーヴァイ)、アリイ(首長)やカフナ(祭司)が儀式のためにとどまる際に食事をとったり、儀式に用いる品物を保管する場所(ハレ・マナ)などが設置されました。
諸島最大級のピイラニ・ハレ・ヘイアウ
掟(カプ)と儀式
ヘイアウには多くのカプがありました。たとえば、赤と黄色の鳥の羽根で作られた聖なる帯(マロ・ウラ)を身につけた人間は絶対に傷つけてはならないといったことです。ヘイアウを建立するにあたり、アリイ(首長)は島を一周するセレモニー(パラロア)を行いました。
ルアキニ・ヘイアウ
人身御供を行うヘイアウを指します。ヘイアウの名を付けず、単にルアキニとも呼ばれました。このタイプの神殿は主に戦いの神クーが祀られました。そのため、戦いのヘイアウ(ヘイアウ・ワイカウア)とも呼ばれました。この神殿に携わるカフナ(神官)はカナルと呼ばれました。
プウ・コホラ−・ヘイアウ内部に上がる石段
マーペレ・ヘイアウ
マーペレ(またはマフル)ヘイアウは、豊饒の神として知られるロノを祀り、ブタを捧げました。マーペレ・タイプのヘイアウは、ルアキニタイプのヘイアウよりも数多くありました。マーペレでは決して人を捧げることはしません。
プウ・ホヌア
駆け込み寺、避難場所としてのヘイアウです。プウ・ホヌアは一般に「ヘイアウ」とは呼びません。かつて各島にひとつずつ存在したと言われます。原型はポリネシアの各島で見られます。ハワイ島の西海岸に、プウ・ホヌア・オ・ホナウナウという国立歴史公園があります。これは「ホナウナウ村にあるプウ・ホヌア」といった意味です。敷地内にはハレ・オ・ケアヴェ(ケアヴェ王の建物)が復元され、王が祀られています。周囲を監視するように建てられたキイ(神像)もレプリカで、本物の木像はホノルルにあるビショップ博物館に収蔵されています。
プウ・ホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園
マラエ
ソサイエティー諸島(タヒチ)のボラボラ島にはファテ・ルア、ライアテア島にはタプタプ・アテア(「もっとも神聖なる空間」の意味)というマラエ(ヘイアウの原型)があります。ここには興味深い伝説があります。ライアテア島(Hava'i)はサモアのサヴァイイ(Sawaii)島と並び、ポリネシア民族共通の祖国と言われるハヴァイキとされます。この伝説は、イースター島(ラパ・ヌイ)の「話す板(コハウ・ロンゴ・ロンゴ)」や、マオリ族の伝承にも記載されているのです。(※ポリネシア民族は文字を持ちませんでしたから、記録は彼ら独自の紋様に刻まれる形で伝承されました。)マオリ族は彼らの始祖であるパイケアが、クジラに乗ってハヴァイキからやって来たと信じています。ちなみに、タプ・タプ・アテアにはタアロア(ハワイ4大神のひとりカナロア)の子オロが祀られていました。
伝統宗教の消滅と復興
18世紀末から始まった欧米人の流入により、カメハメハ大王(1世)が存命の間はかろうじて保たれていた伝統文化も、死後は次第に廃れていきました。1819年、大王の妻のひとりであるカアフマヌの院政下で、まだ若かったカメハメハ2世はそれまでの掟(カプ)の廃止を宣言しました。ヘイアウはほどなく放棄され、やがて破壊されていきました。
それから1世紀半ほどの歳月を経た1970年代に、ハワイアン・ルネッサンス運動が起こりました。ハワイの伝統文化の見直しが図られたのです。ハワイ語教育の復活や、伝統フラの拡充、航海カヌー技術の修得、ポリネシア諸地域との交流などが今日に至るまで続けられています。ごく一部ではありますが、ヘイアウの復元も、その一貫として行われています。ハワイ諸島のヘイアウはいまも石の土台を晒していますが、今日的な解釈のもとに、新しいハワイ文化が創り出されようとしていることもまた事実です。
トップページはハワイ島カイルアコナにあるアフエナ・ヘイアウのレプリカです。次回はワイヘエ・リッジ・トレイルについてお話しします。
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