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クックに同行した画家ジョン・ウェバーのスケッチしたワイメア集落 |
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ワイメアの町は西欧文化が初めて上陸した町として知られます。1778年、イギリスのキャプテン・ジェームス・クックがここに寄港したからです。クックの航海日誌には、「集落の人々はブタやイモ類を持ち出し、代わりに釘や鉄製品が欲しいと願い出た」とあります。ハワイ諸島を含むポリネシアの島々に鉄器や銅器はありませんから、本来、釘がどういうものかさえ知らないはずです。それにもかかわらず、住民たちが鉄製品を求めたのは、クックが来島する前から、別の西欧人がこの島を訪れたからに他なりません。事実、彼らはすでに釘を持っていて、それはスペイン由来のものだったようです。 歴史というのは、書かれなければ存在しないことになってしまいます。当時、太平洋を往来していたスペイン船が、ハワイ諸島に寄港したことはほぼ確かですが、資料として残されていないため、いまも最初の西欧人としてクックの名前が残されているということです。
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クックの銅像 |
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ワイメアの町のほぼ中心にキャプテン・クックの銅像があります。この銅像はかつてそれほど大切にはされませんでした。外国人による支配を否定する一部の先住ハワイ人が像を嫌ったためです。いまはそのようなこともほとんどなくなり、その首にレイがかけられていることが多くなりました。
銅像の前にはイシハラ・マーケットがあります。地元住民のための店ですが、リフエやカパア方面から訪れる観光客もよくこの店に立ち寄り、弁当やサンドイッチを調達します。アヒやタコなどのポケもおいしいと評判です。
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イシハラマーケット |
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商店街の手前にはすでに運転を止めた砂糖工場があります。骨組みだけの状態になってからずいぶん歳月が経ちますが、いまも変わることなく建っています。数年前まで作業していたリフエの工場は、残念ながら取り壊されてしまいましたが、島にはこの他にも、取り壊されぬまま残された砂糖工場がいくつかあります。
町の中心を過ぎて少し進むと、左手の海側に広大な敷地を持つ、アストン・ワイメア・プランテーション・コテージが現れます。かつてサトウキビ農場で働いていた労働者の住宅を改造してコテージにしたものを、敷地内に散りばめたコンドミニアムで、建物は簡素ですが、広いラナイ(テラス)と建物単位で造作してある花畑に囲まれ、とても心が豊かになる空間となっています。
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町なかにある砂糖工場跡 |
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ワイメアの町で日系人に欠かせない存在としてワイメア東本願寺があります。サトウキビ農園で働いた移民たちが創設したもので、島で最古の寺です。ハワイの寺院はどの島でも宗教的な行事以外に、暮らしに関わるさまざまな役割を担っていました。東本願寺もその例外ではなく、日本語学校や日曜学校、さまざまなサークル活動が行われてきました。 第二次世界大戦の間は活動を停止していましたが、戦後に再建されました。日本語学校はありませんが、いまも住職を中心にさまざまな文化活動が行われています。
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敷地内に点在するアストン・ワイメア・プランテーション・コテージのひとつ |
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ワイメアの町は手前をロシアン・フォートと呼ばれるかつての要塞跡と、キキアロアのヨットハーバーに囲まれた小さな土地ですが、北側には太平洋のグランド・キャニオンとマーク・トゥエインが表現した広大な渓谷を抱えます。多くの観光客は町での滞在はほどほどに、渓谷を目指して山へ登りますが、海の魅力もお忘れなく。とくにサンセットの頃に渓谷を下ってくると、雲の間から注ぐ日差しが海の向こうのニイハウ島を幻想的に浮かび上がらせてくれます。
町のすぐ背後にある海岸にも足を向けてみましょう。夕焼けや残照の美しさは、オアフ島のサンセットビーチやハワイ島のカイルア・コナに決して引けをとりません。桟橋は先端まで行くことができるので、サンセットに合わせて滞在するのも良いでしょう。目の前に広がるニイハウ島の景観も楽しめます。
帰りは、トップページで紹介したラングラーズ・ステーキハウスへ。メインディッシュだけでなく、地ビールやリリコイケーキなどのデザートもお勧めです。
トップページはワイメアでいちばん人気のレストラン「ラングラーズ・ステーキハウス」。次回はオアフ島東部にあるココ・クレーター植物園についてお話しします。
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