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ホノルル空港を飛び立つとワイキキの向こうにダイアモンドヘッドが見える |
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私は、ホノルルからハワイの島々を結ぶインターアイランド便に乗る機会があると、良く進行方向に向かって左側の窓側の座席に座ります。ハワイの各島を結ぶ便は、座席指定のない自由席となっていますので、窓側の席を取るために出発の前は少し早めにゲートに行って並びます。なぜなら、カウアイ島行きの便を除き、ホノルルから東側のハワイ諸島の島々へ向かう便では、進行方向の左側に見所がたくさんあるからです。天気の良い日、それも午前中の便に乗ったときは順光なので、それぞれの顔を持ったハワイの島々を見ることが出来ます。わずか4、50分の短い空の旅ですが、美しいハワイの海と島々を眺めていると、ついつい時間が経つことも忘れてしまいます。
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巨大なダイアモンドヘッドクレーター |
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ハワイ島やマウイ島などのハワイ諸島の東側の島々へ向かう飛行機は、ホノルル空港を離陸すると、すぐにワイキキビーチに平行して東に向かいます。ワイキキのホテルやコンドミニアムの向こうには、山頂がいつも雲に覆われているコオラウ山脈が見えます。山の反対側から吹いてくる貿易風が、コオラウ山脈に雨を降らし、山脈があるおかげでワイキキの晴天率が高いことが良く分かります。しばらくすると、ダイアモンドヘッドが真下に見えてきます。空から見ると見事に円形に切り取られたクレーターをよく観察することができますよね。そして飛行機は、マウナルア湾を越えてさらに東に進んでゆきます。
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ココ・ヘッドとハナウマ・ベイ |
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オアフ島とお別れする前に、カワイホエ岬が見えてきます。この辺りには、やはり火山活動でできたココ・ヘッドとハナウマ・ベイ、ココ・クレーターがあります。以前、アロハカワラ版の特集で、『ホノルルは火山銀座と言ってよいほど、多くの火山が集まっています』と紹介されていましたが、本当に火山の密集地帯であることを実感します。ハワイ語で「湾曲した」と言う意味であるハナウマ・ベイのエメラルドグリーンの海は、空から眺めてもやはりとても美しいですよね。それでは、オアフ島とお別れし、海の上を飛行します。しばらくするとモロカイ島が見えてきます。
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モロカイ島の東半分は高峰が連なる |
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モロカイ島は、ハワイ王国時代、当時不治の病であったハンセン病の収容所が有った島です。あまり観光開発が進んでいない島なので、訪れるチャンスは少ないかもしれませんが、空から眺めていると起伏の少ない草原に覆われている島の西半分と高い峰が連なる島の東半分をはっきり見ることができます。手付かずの大自然が残っている島だそうですので、一度訪れてみたいと思っています。モロカイ島を眺めていると飛行機の真下には、かつて島のほとんどがドールのパイナップル園であったと言う赤土に覆われたラナイ島が見えてきます。そして、しばらくするとマウイ島も見えてきます。マウイ島はほぼ東西に広がるひょうたん型の島で東側にハレアカラ火山も見えてきます。マウイ島行きの飛行機は左に旋回しカフルイ空港に向かいます。ハワイ島行きの飛行機はマウイ島を望みながらハワイ島へと向かってゆきます。晴れた天気の良い日にマウイ島とハワイ島へ行かれる時は、是非、進行方向に向かって左側に座ってみてくださいね。
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秘密の島と呼ばれるニイハウ島 |
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ハワイのインターアイランド便からの眺めをお話してきましたが、日本からホノルルへ向かう便からも、ハワイに着く前にいくつかの島々を見ることができます。冬場の早朝にホノルルに着く飛行機の場合は、まだ暗くて窓の外が見られないかもしれませんが、天気が良い日には、先ず最初にニイハウ島が見えてきます。秘密の島と呼ばれるニイハウ島は個人所有の島で、伝統的なハワイアンの生活様式を守る300人程の人々が住む、電気や電話、そして舗装道路も無い文明とは完全に隔絶された島だそうです。カウアイ島からヘリコプターのツアーが出ているそうですが、ニイハウの人々が住む場所とはまったく離れた海岸に着陸し、島に住む人々と出会うことも無く、島の人々の生活の様子を伺い知ることはまったくできないそうです。
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カウアイ島のケカハビーチの辺りは晴れていました |
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ニイハウ島を過ぎると、カウアイ島も見えてきます。降水量の多いカウアイ島の山々の全貌は空からでもなかなか見ることは出来ないと思いますが、飛行機から眺められるカウアイ島の南部は、やはり貿易風の影響でカウアイ島の他の地域と比べる晴れることも多いようです。また、ハワイから日本に向かう復路の便では、ちょうど昼間ですので北西ハワイ諸島のミッドウェイ環礁を見ることもできます。
空からハワイの島々を眺めていると、地上の視点とはまったく異なる視点からハワイの島々を眺めることができます。空から眺めるハワイの景色は、移動の合間のささやかな私の楽しみでもあります。
(掲載日:2003年2月20日)
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