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アリゾナ記念館 |
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一月に出張でハワイへ行った折、週末を利用してドライブをしました。土曜日は仕事の関係でまだ日の昇らない早朝、ホテルを出発。仕事を終え、朝食後ノースショアへ向かいました。午後、ワイキキへ戻る途中、パールハーバーへ寄りました。
ハワイには何度も訪れていますが、実はパールハーバーへ行くのは初めてでした。日本人として、日本軍が奇襲攻撃を仕掛け、大きな被害を与えた真珠湾は、私にとってなかなか足を踏み入れづらい場所でした。ハワイへ行く以上、避けられない史実。自分の先祖らによる攻撃の跡と戦死した人々に手を合わせる気持ちで、アリゾナ記念館へ向かいました。
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真珠湾に沈む戦艦アリゾナ号(手前)
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アリゾナ・メモリアル・センター内へは、バッグ類の持込は禁止されていました。カメラと貴重品のみ手にして、中に入り、劇場へのチケットを購入して劇場内へ進みました。簡単な説明の後、真珠湾攻撃に至るまでの映像を観ます。映画が終わると、扉からボート乗船場へ向かい、乗船。すぐにフォードアイランド脇のアリゾナ記念館に到着します。アリゾナ記念館は海底に沈む戦艦アリゾナ号の上を跨ぐ様に海上に建てられています。
日本軍の機動部隊が奇襲攻撃を行った1941年12月7日(日本時間12月8日)の朝、この戦艦アリゾナ号は、他の6隻の戦艦と列を組んで、フォードアイランド東南側に係留されていたそうです。午前8時10分、日本軍に撃破されたアリゾナ号は、その後64年間、1177名の乗組員と共に、同じ場所に眠っています。
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藻などが付着した船体 |
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アリゾナ記念館内部には、沈んでいるアリゾナ号の一部を見ることができるように、建物の中央付近の床に穴があいています。全面を貝や藻で覆われた船体は、時の流れを感じます。また、両壁に開けられたガラスのない窓からも、海面上に突き出した錆びた船体の一部を見ることができます。
また、記念館の一番奥の壁には、一面にアリゾナ号と共に眠る兵士らの名前が刻まれています。同姓の名前が見られますが、これらは父子や兄弟の名前だそうです。当時は父と息子、兄と弟等肉親同士で軍に奉仕することができたそうです。ここで亡くなった方々はもちろん、そのご家族のことを想うと、いたたまれない気持ちになりました。
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艦上の大砲があった場所 |
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前回のスタッフルームでティ・リーフのバラの作り方を教えていただいた、アストン・ワイキキ・サンセット総支配人の義父様から伺ったお話ですが、米国海軍では兵士が亡くなると、葬儀の際、7人の兵士が各3回ずつ(計21回)、葬送の礼砲を放つそうですが、アリゾナ記念館の白い建物に開けられている窓の数(両壁に7ヶ所ずつ、天井に7ヶ所の計21ケ所)は、この礼砲の数と一致しているそうです。
アリゾナ記念館からはフォードアイランドに係留されている、1945年9月2日に東京湾内のこの戦艦の艦上で、日本が第二次世界大戦の降伏文書へ調印した、戦艦ミズーリ号を望むことができます。太平洋戦争開戦時に日本軍の奇襲によって撃沈したアリゾナ号と、すぐ近くに係留されている日本の敗戦を象徴するミズーリ号には、何か歴史の因縁を感じますね。ミズーリ号へはUSS潜水艦ボウフィン号博物館&パークでチケットを購入し、専用トロリーで行くことができます。
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フォードアイランドに係留する戦艦ミズーリ号
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1945年3月10日の東京大空襲からちょうど60年目にあたる今年、新聞やテレビで戦時中の話題が数多く取り上げられている昨今ですが、もう二度とこのような犠牲を出さない、平和な世界への期待が強まったアリゾナ記念館への訪問でした。
この日の午前中に訪れた、オアフ島ノースショアへのドライブの様子は、また機会がありましたらご紹介させていただきたいと思います。
(掲載日:2005年3月17日)
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