日本のハワイからアローハ!
日本フラ文化発祥の地とも言える「スパリゾートハワイアンズ」から、ハワイにもない「フラ・ミュージアム」についてのレポートです。
今回は「常磐音楽舞踊学院」の展示コーナーをご紹介します。
「常磐音楽舞踊学院」は、ハワイアンズダンシングチームの養成学校として、常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)創業1年前の、1965年4月1日に設立されました。
1964年4月1日には海外旅行が自由化され、日本初のオリンピックである「東京オリンピック」も開かれるなど、戦後高度経済成長の真っ只中。ようやく日本と韓国の国交も正常化するといった激動の時代であったといえます。
炭鉱から観光に180度の転身を図ったハワイアンセンターにとって、当時一番苦労したことがダンサーの募集作業でした。
「炭砿人の血を受け継いで、炭砿の空気の中で育ってきた人が踊ることによって、この目的が達せられる」「松竹や宝塚のショーを真似ようと思うな。少女歌劇やレビューを見たい人は東京か神戸に行けばいい。ハワイアンセンターは、ここでしか見られないショーを上演する」。この精神に基づき、関係者の必死の要請により、炭鉱に職を持つ家庭の子女が集められました。当然、ほとんどが踊りの経験すらない全くの素人ばかり。
「常磐音楽舞踊学院」が学校としての体裁で船出したのは、ある種の雇用対策という必然性からくるものでした。つまりは、娘さんを安心して預けることができる体制をつくるものだったといえます。
入学案内パンレットをはじめ貴重な資料を展示しています |
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1968年には、学校教育法に基づく各種学校として、福島県知事の認可も受け、日本音楽協会会長などといった一流の講師陣も揃えました。当事から、フラダンスやタヒチアンダンスのほか、フラメンコを必須科目としており、まさに日本で初めての専門学校であったと言えます。
第一期生18名の平均年齢は17歳。映画「フラガール」に描かれていたように、彼女達は、常磐炭砿の将来が自分たちのショーの評価にかかっていることを強く感じていました。しかし、東京はともかくとして、地方においては、馴染みのなかったポリネシアの民族舞踊には、周囲や地元社会の理解が得られず、多感な時期だった彼女達の耳にまで「ヘソを出して踊るなんて!」「あっ!裸踊りのねえちゃんだ!!」「腰振りダンス!」などといった心ない言葉が浴びせられることもありました。
それでも炭砿従事者、地域経済の将来という重い荷物を背負った使命感に支えられた一途な心意気がマスコミや世間の話題となり、日毎に増えていく励ましや声援で、これらのハンディキャップも徐々に取り除かれていきました。
1965年12月6日、東京大手町サンケイホールで昼夜2回行われた「常磐音楽舞踊学院旗揚げ公演」には、それぞれ2,000名を超えるお客様が押し寄せ、入場をお断りするほどの注目ぶりであったといいます。
フラ・ミュージアムには、これら歴史の重みを肌で感じ取ることができる資料や、反対を押し切って夢を目指したダンサーが、親から勘当され、親戚からは「売られた」と後ろ指をさされたエピソードなど、貴重な展示が満載されています。
スパリゾートハワイアンズのポリネシアンダンスは、単なる本場の模倣ではなく、現地と自らの地域・文化を理解した上で、厳しい試練に耐え、磨き上げられた日本人ダンサーが、日本人としての感性を加えることを特徴としています。それがオリジナリティーであり独創で、民族舞踊にも新たな可能性が生まれると考えています。
このように、フラ・ミュージアムは見所がいっぱいで、一度は訪れてみたい場所です。ハワイアンズでは、東京・新宿・渋谷・横浜・さいたま・西船橋から、何と交通費無料の宿泊者限定送迎バスを運行していますので、チェックしてみてください。
フラ・ミュージアム(スパリゾートハワイアンズ内)
〒972-8555福島県いわき市常磐藤原町蕨平50番地
phone (0246)43-3191(大代表)
URL http://www.hawaiians.co.jp
開館時間10:00〜18:00
※ハワイアンズの営業時間は曜日によって変動
※ハワイアンズの入場料のみで観覧可
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